写真家の木原浩先生にスカシユリの写真をご提供いただきました。
大正5年に出版された日下薙山『確実有利金儲策』は、農家向けの副業指南書です。その中で輸出用百合栽培を推奨しています。時代は第一次世界大戦中で、日本経済は大正バブルが始まったところでした。本格的な工業化・都市化が進み、インフレも亢進しました。農村では農産物の価格が放置されたのに対し、工業製品は高く、都市住民の生活程度に追い付こうと思えば、農家には現金収入が必要でした。
30年ほど前のことですが、群馬の祖父母を訪ねると、いつも機械部品を製造する内職をしていました。山奥なので米作ができず、目立った商品作物もないので、自家消費に困ることはありませんでしたが、工業製品を買うのに現金収入が必要という構造は、大正時代から変わっていません。
タイトルは軽薄ですが、『確実有利金儲策』は、かなり実践的な書物です。「前途有望なる輸出百合栽培」の章は、次の構成です。
A 如何なる百合輸出に適するか 百合の種類は5,600種類あるが輸出用に栽培して利益のあるものは数種しかないので、種類の選定が百合栽培上最も重要な問題であると説き、黒軸鉄砲百合を一押しとしています。
B 輸出百合の産地と適地 百合栽培に適する土地の条件を説いています。
C 栽培方法と施肥関係 植付け時期や肥料・水のやり方、収穫時期などを説明しています。
D 繁殖法と肝要なる手入れ 百合の増やし方や保存方法を説明しています。
E 栽培上の勁敵と中間業者の横暴 前半は病害・害虫の説明、後半は百合輸出流通における流通業者の取引方法を説明しています。百合は横浜の輸出商人がほとんど全てを買い付けて輸出しており、その流通経路は、地方仲買人・栽培組合経由の取引と栽培者との直接取引があります。売買の方法は、一反(300坪)いくらという買い方と球根単位の買い方があり、横浜商人以外に買い手がいないので、力関係は農家が弱いとあります。
F 世界的大需要と輸出問屋 欧米の需要が主で、百合の主要な供給源は日本であることを説明している。Eで出てきた横浜商人のリストも掲載されており興味深いです。シェル石油(現ロイヤル・ダッチ・シェル)の創業者マーカス・サミュエル率いるサミユル商会が目立ちます。百合の最低取引単位は球根1万球で、山間でも遠隔の地でも商人が買付に出張してくるので売却に困難はないそうです。
筆者の日下薙山(日下真佐市)は、大日本薬草栽培奨励会専務理事であり、『農業繁栄策』、『農業の模範事業』などの著作がありますが、詳しい履歴は不明です。
当時の百合根貿易の90%以上は横浜港であったようです。
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000253549
上記ホームページ掲載の資料を見ると、明治40年の横浜港の百合根取扱いは、1279万6066個、565736円でした(全国で1286万9605個、56万9398円)。
そうすると、球根1万球で商人が山間まで買付に来ると言っても、それだけの量を集めるのはなかなか大変であったはずなので(球根1万個は、全輸出量の0.12%になる。)、零細栽培者の球根を集約するために地方仲買人・栽培組合が必要だったということでしょう
百合根の輸出額は、1個あたり平均0.04円(4銭)になります。当時、ビール大瓶1本23銭、米10㎏1.1円のようなので、百合根5個でビール大瓶が飲めるイメージです。
居酒屋でビール大瓶600円前後ですから百合1個120円となり、先日、僕が買った百合の球根が1個200円くらいだったので、現在の感覚とそれ程違いはなさそうです。
(2020年10月 神戸)
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