七人の侍と思い出の破産事件

七人の侍は、いうまでもなく黒沢監督の白眉をなす映画である。戦国時代、農民から依頼を受け、野武士集団に七人の侍が立ち向かう物語である。この映画で登場する侍は七人。いずれも個性あふれるキャラクターの持ち主ばかりである。七人という数字は、筆者が関わった著名事件である「オウム真理教」の破産事件に携わった管財人団のメンバーの人数と一致する。
平成7年3月20日、オウム真理教は「地下鉄サリン事件」を引き起こした。オウム真理教に対する解散命令に伴う清算手続が開始されたが、被害者弁護団及び国は、東京地方裁判所へ同教団の破産を申立て、平成8年3月28日に破産開始決定が下された。破産管財人は、元日弁連会長である阿部三郎先生が選任された。阿部先生を保佐する常置代理人として、東弁から柳瀬康納治、大野金一、大阪弁護士会から久保井一匡(後の日弁連会長)、山梨県弁護士会からは寺島勝洋が参加し、更に、東京地方裁判所の破産部の推薦により、第一東京弁護士から大野了一、第二東京弁護士会から筆者が加わることとなった。阿部先生を含め7名の弁護士が揃い、これにサポート弁護士が数名加わり管財人団が形成された。
阿部先生は、当時、70歳を迎えていたにもかかわらず、破産管財人に就任直後から、同教団の破産手続きが事実上終結する平成20年まで、実に精力的に管財業務をこなされた。
オウム真理教の破産事件では、思い出に残る出来事は数多い。サリンを入れた大きな鉄球が据え置かれた第7サティアン、銃の製造工場、麻原が入浴した風呂、拷問部屋、アルミ鋳造のブロックで形成された約10畳の大きさの首都圏のパノラマ図には、皇居、警視庁、国会等に印がつけられていた。ロシアから購入した中古のヘリコプターも周辺にあり、彼らは本当に首都を攻撃する算段をしていたのである。霞ヶ関の弁護士会館には、阿部先生が揮毫された「弁護士会」の標石が置かれているが、弁護士会館を訪れるたび、筆者を含めたメンバーが地下鉄サリンの被害者を含むオウム真理教による被害者の数千件の債権認否作業のため、弁護士会館で徹夜の作業をした事を懐かしく思い出す。七人の侍の映画では、戦いが終わり、百姓が田植えにいそしむ姿を見て、生き残った勘兵衛は、相棒の七郎次に対し、「また、負け戦だったな。勝ったのは俺たちではない。」という有名な台詞を吐く。オウム真理教でも完全に被害者が救済された訳ではなく、筆者たちの戦いは、「負け戦ではなかったものの、破産事件として出来るかぎりの事は尽くした」という意味で誠に心に残る事件であった。