中国における映画の検閲-映画に対する規制(1)

劉文兵「中国映画の『熱狂的黄金期』」(2012年 岩波書店)によれば、毛沢東の死(1976年9月)と文化大革命の終焉、鄧小平による改革解放路線への転換(1978年9月)から高度成長期の幕開け(1990年代前半)にかけての十数年間、とりわけ1980年代は、中国映画の黄金期とされています。

その間、いわゆる第5世代監督による「黄色い大地」(1984 チェン・カイコー監督)、「芙蓉鎮」(1986 シェ・チン監督))、「紅いコーリャン」(1987 チャン・ウモ監督)などが立て続けに国際映画祭で受賞。劉氏によれば、従来の社会主義計画経済の体制は、映画市場のニーズを無視し、イデオロギー的な教育効果ばかりを追及するという「負」の影響を及ぼした半面、映画人が採算を度外視して映画作りに専念できたことで、作品の質が保たれたという「正」の影響をもたらしました。改革解放路線への転換が映画製作の現場に影響を及ぼすのは80年代半ばからであり、「黄色い大地」、「紅いコーリャン」などが、映画表現の可能性を探ろうとする第5世代監督たちの試みを可能としたのは、ほかならぬ計画経済のシステムの存在に拠るところが大きかったのです(p146)。

「黄色い大地」は、1930年代の極貧の山村を舞台に、八路軍の若い兵士に対する少女の淡い恋情と八路軍への参加の決意を描いたもの。「紅いコーリャン」は、1920年代に始まるコーリャン酒の造り酒屋一家の生活と侵略日本軍に対する壮絶なゲリラ戦を描いたもの。いずれも、詩情豊かな映像と伝統音楽によるすばらしい作品ですが、共産党による貧農解放や抗日戦での英雄的な犠牲という、中国社会に固定された歴史認識の枠がはめられ、検閲の存在を推認することができます。

「中国映画の『熱狂的黄金期』」は、1980年代の中国における映画検閲の制度的な仕組みや具体的な流れを検証し、検閲側と製作側の間には「ここまで批判しても良いがこれ以上はだめだよ」というよう「暗黙のルール」が存在していたと指摘。この「暗黙のルール」は、高倉健主演の「単騎千里を走る」(2006 チャン・ウモ監督)で雲南省の僻地の刑務所長の「暖かさ」を強調する姿勢や、近年の「再生の朝に」(2009リュウ・ジェ監督)が中国社会の人権抑圧をテーマとしながらも、取って付けたように、最後に共産党の「法治」主義を評価する手法にも引き継がれているように見受けられます。

以下、劉氏の著書に従って、中国における映画検閲のシステムを概観することにします。

映画に対する規制(2)に続く

民主主義にとってすばらしいが…-「12人の怒れる男」(シドニー・ルメット監督 1957年)(5)

「12人の怒れる男」(シドニー・ルメット監督 1957年)(4)はこちら

 「12人の怒れる男」は、素人の健全な感覚(広津のいう「人間に対する理解力、洞察力」)によって専門家の虚偽を暴くという点で、映画「評決」と共通するものがあります。

「怒れる」陪審員の一人は、評議の過程で次のような心情を吐露。
「この陪審制度は、民主主義にとってすばらしいことだといつも思っている。
われわれは、まったく見知らぬ人が有罪か無罪かを決めるために、この場所に来るように郵便で呼び出された。われわれにとって、評決は何の得にも損にもならない。これが、われわれが強い(strong)理由の一つだ。」(映画字幕では、「この国が強い理由だ」とされています)。
最後に、陪審制度に対する「手放し」の礼賛に疑問を投げかける人がいることも紹介しておきます。
在米の日本人で、カリフォルニア州裁判所の書記官として働く女性は、
「…裁判所も市民も今後どれだけ負担が増えることになっても、アメリカの陪審制度は絶対に変わらないだろう。陪審裁判を受ける権利が言論の自由のような基本的権利と同列で『誰も疑問視しないもの』として広く受け入れられており、人々のどこかに『その権利を守るために自分が義務を果たさなくてはいけない』という考えがあるからだ。」
という「タテマエ」論を認めながらも、陪審法廷に立ち会ったこれまでの経験に即して、
「アメリカの陪審裁判と日本の裁判(員)制度、今はどちらにしても博打の要素が大きすぎると思う。だから私は、『法律のプロである裁判官1人』が判決を下す法廷裁判を選択する。」
と言い切り、陪審裁判に対するアメリカ人の「ホンネ」が次のようなものであることを、最後に披露しています(*2)。
Do you really want to be judged by someone who was not smart enough to get out of Jury duty?
 わが国における裁判員制度の導入が、「民主主義にとってすばらしい」ことは事実ですが、その功罪を正確に評価するためには、しばらくの年月を要するものと思われます。
(*2) 伊万里穂子「私ならぜったいに選ばない陪審裁判」―田口理穂ほか「『お手本の国』のうそ」・新潮新書)。

終わり

人間に対する理解力、洞察力があれば…-「12人の怒れる男」(シドニー・ルメット監督 1957年)(4)

前回はこちら

人間に対する理解力、洞察力があれば…

映画「12人の怒れる男」では、裁判については全くの「素人」である陪審員たちの手によって、法廷での証言や物的証拠のあらゆる疑点が一つずつ冷静に点検されています。しかし、わが国では、このような点検は、経験豊かな法律家でなければ不可能な、高度に専門的な作業であるかのように長く思われてきました。
64年前に発生した「松川事件」は、第1審では被告人20名のうち5名が死刑、5名が無期懲役、その他も有期懲役の有罪判決を受けながら、14年後の第2次最高裁判決によって全員の無罪が確定するという、典型的な冤罪事件でした。作家広津和郎は、第1審判決後に刊行された獄中被告の手記「真実は壁を通して」に接して被告人らの無罪を確信し、裁判批判の文筆活動を開始。 
これに対し、熊谷弘・東京地裁判事は、「中央公論」1955年3月号に「公開状」を発表し、
「…裁判の結果が自分の素朴的な考えと一致しないからというて、納得ゆかないとするのは、全くルールを知らないでスポーツを見て、その勝敗が納得ゆかないと抗議するのと同じように、およそ戯画的な風景ではないでしょうか。」
と広津を揶揄的に批判します。同月号に併載された「熊谷判事に答える」で、広津は次のように反論。
「…ルールを知らなければ裁判は分からないというお説は、一面もっともであると思います。法律家でない私は、裁判の手続きとか運用とかは知りません。(中略)…そういう問題と離れて、法廷記録によって、被疑者の行動を調べるというような事は、何もルールに拠らなくても出来るように思います。その点については現に判決文を読みましても、事理の審理はルールによってはいないようです。それはルールよりは、人間に対する理解力、洞察力のようです。」

 

怒り、対立しながら…-「12人の怒れる男」(シドニー・ルメット監督 1957年)(3)

「12人の怒れる男」(シドニー・ルメット監督 1957年)(2)

これに対し、無罪説は、8番の陪審員1人だけで、その理由も、I just want to talk. つまり有罪の確信が持てないから、よく話し合おうという程度のもの。しかし、有罪にせよ無罪にせよ、少なくとも刑事事件の評決は全員一致であることを要するという制約のため、暑い夏の午後の評議が、有罪説の11人にとっては嫌々ながら始まります。

8番の陪審員は、まず、珍しい彫刻の柄を持つ凶器の「飛び出しナイフ」とまったく同じものが6ドルの質流れ品で売られていたと実物を披露。次いで、評議室内での再現実験により、歩行の不自由な老人がベッドから起きて現場が見える場所まで移動するには45秒を要すること(証言では10秒)が判明。高架線のそばで3日間仕事をした経験のある6番の陪審員(塗装職人)は、高架線を列車が通過する際の激しい騒音で、老人には「殺してやる」という叫び声が聞こえたとは思えないという。9番と8番の陪審員は、メガネなしで出廷した女性証人の鼻にメガネ跡があったことを思い出し、通過列車ごしに18メートル先の現場が見えたという証人が、現場を凝視するために不可欠なメガネを掛けていなかった可能性を指摘する…。

幼年期をスラムで過ごし「飛び出しナイフ」に精通する5番の陪審員は、「飛び出しナイフ」でとっさに攻撃する場合の刺し傷の形態について、重要な疑問を提起。陪審員たちは、ときに殴りあいの寸前まで感情を露骨に表し、怒り、対立しながらも、結果的には、証言や物的証拠のあらゆる疑点を一つずつ冷静にチェックします。

午後7時までに、無罪説は11人となる。有罪説は、高校のフットボール・コーチだという3番の陪審員だけ。その陪審員も、最後に、不仲な不良息子への悪感情が被告人の少年を有罪とする無意識の根拠であったことを認め、ついに全員による無罪の評決が成立する…。(続く)

(*1)ヘンリー・フォンダ主演映画でも、 Penguin Classicsの演劇脚本でも16才とされているが、19才とするバージョンもある(調査中)。

「12人の怒れる男」(シドニー・ルメット監督 1957年)(4)

圧倒的多数の有罪説-「12人の怒れる男」(シドニー・ルメット監督 1957年)(2)

「12人の怒れる男」(シドニー・ルメット監督 1957年)(1)

被告人は16歳(*1)の少年(ヒスパニック系の混血か)。父親に殴られたことを恨みに、深夜、アパート2階の自宅で父親を「飛び出しナイフ」で刺殺したとして起訴されている。法廷の陪審員の前で目撃状況を克明に述べた検察側証人の1人は、鉄道高架線を隔てた近所の45歳の女性で、通過する列車ごしに自宅の窓から犯行を目撃したと証言。もう1人は、同じアパート1階の高齢の1人暮らし男性。深夜、「殺してやる」という階上の叫び声と人が倒れる物音を聞き、アパート出入り口に駆け寄ると、顔見知りの少年が逃走するのを見たと述べている。弁護人は「無能」な国選で、有効な反対尋問を行っていない(ただし演劇でも映画でも法廷シーンは一切なし…)。
このため、議論に入る前の最初の評決では、有罪説が11人という圧倒的多数。その理由は、2人の証言が具体的で信用できる、父親に殴られたという動機がある、凶器の特異なデザインのナイフが現場で保全されている、少年は犯罪の温床のスラム出身だ、少年はアリバイとして犯行時には映画館にいたというが映画の題名を言えなかった…などさまざまです。陪審員の1人は、当夜のニューヨーク・ヤンキースのナイトゲームに間に合うよう、とりあえず多数説に加担したようです。

「12人の怒れる男」(シドニー・ルメット監督 1957年)(3)

互いに名前も知らない陪審員たち-「12人の怒れる男」(シドニー・ルメット監督 1957年)(1)

「12人の怒れる男」を初めて観たのは、教養課程の学生だった頃です。それから半世紀以上が過ぎて、数日前、「つたや」で借りたDVDで、古典となったこの白黒作品を再び鑑賞。12人の男たちが、裁判所の階段を下り、巨大な神殿のような玄関の柱を抜けて四方に急ぎ足で散っていく、印象的なラストシーンが甦りました。

記憶のうすれで、「怒れる男」という表題は、検察の不正に怒りをもって立ち向かった12人の陪審員を示すものと思い込んでいました。しかし、DVD鑑賞の後でPenguin Classicsの演劇脚本をよく読んでみると、至るところに、angrily, his anger rising, shouting, yelling, shut up, his face dark with rage, stare at each other…などの「と書き」が使われ、I’ll kill him(論争相手の陪審員を)という恐ろしいセリフも登場します。つまり、「12人の怒れる男」は、陪審員たちが全員一致の評決に至るまでの、「怒り」に満ちた言語的格闘(乱闘寸前で警備員が駆けつけたほど)を内容とするものだったのです。

この映画では、見ず知らずの12人の男たちが、法廷で裁判官から「死刑の余地のある第1級殺人事件」であることの注意を受けるシーンから前述のラストシーンの直前に至るまで、すべて密室内での男たちの半日にわたる激論の描写に徹しています。男たちは、お互いに名前すら知らされず、陪審員番号で呼び合う。しかし、職業だけは、経験や体験についての発言の中で、建築士(ヘンリー・フォンダの演じる8番の陪審員)の他、銀行員、時計職人、体育コーチ、株ディーラー、労働者…と、さまざまであることが分かります。

「12人の怒れる男」(シドニー・ルメット監督 1957年)(2)

弱者が強者に打ち勝つとき-「評決」(シドニー・ルメット監督,1982年)(4)

「評決」(シドニー・ルメット監督,1982年)(3)

わが国には、民事裁判における陪審制度はありません。大正期に一時導入された陪審制度は、刑事事件を対象とするもので、数年前に始まった裁判員制度も、法定刑の重い罪の刑事事件のみが対象です。

しかし、民事裁判についても陪審制度を持つアメリカでは、とくに特許などの専門領域の裁判に、常識だけが頼りで感情に流されやすい「素人」の陪審員を参加させることのマイナス面が取り上げられています。

本映画も、判断について高度の専門知識を必要とする医療ミスの民事事件がテーマですが、陪審員の実際の判断は、受付調査表の数字が改ざんされたか否かという、常識に基づく判断が十分に可能なものでした。

「素人」の常識を恐れた裁判官は、陪審員に対し、「証言は無効」とされた以上、聞いたばかりの証言を頭の中で消去せよと説示。しかし、そのような操作について訓練を受けた法律家であればともかく、「素人」たちにそれができるはずがありません。

ギャルビンは、その意味での「素人」の健全さにかけ、裁判官とコンキャノンの専門知識を駆使した策略にとらわれずに、陪審員の心の中にある「正義」に従って判断して欲しい―You ARE the law. IF… if we are to have faith in justice, we need only to believe in ourselves.―と訴えたのです。

現代社会には強者(富者、専門家)と弱者(貧者、素人)が厳然と存在し、社会的強者が、常に圧倒的な力で社会的弱者を支配している。それにもかかわらず、弱者は、ときに強者に打ち勝って社会的正義を実現することができる。この映画は、アメリカの社会と市民が、健全にも、正義実現の手段や方法を失っていないことを示すものとして、感動的です。陪審制度を持たないわが国では、このようにダイナミックな「弁護士もの」映画が生まれる余地がありません。

終わり

正義を実現する評決が…-「評決」(シドニー・ルメット監督,1982年)(3)

「評決」(シドニー・ルメット監督,1982年)(2)はこちら

しかし、ギャルビンは、病院側が隠していた最重要の証人を探し出す。それは、事故当日、病院の受付で患者から簡単な聞き取り調査を行い、調査票を作成していた看護婦志望の若い女性です。彼女は、陪審員たちの面前で、涙ながらに、事故直後に病院内でどのようなことが行われたかを証言。

ところが、辣腕博学のコンキャノンは、判例を駆使して、証言を無効とすることを申し立て、判事はこれを認めて、陪審員たちに、彼女の証言に影響されることなく評決を行うよう説示する…。

ギャルビンの最終弁論は次のようなものです。

You know, so much of the time we’re just lost. We say, “Please, God, tell us what is right; tell us what is true.” And there is no justice: the rich win, the poor are powerless. We become tired of hearing people lie. And after a time, we become dead… a little dead. We think of ourselves as victims… and we become victims. We become… we become weak. We doubt ourselves, we doubt our beliefs. We doubt our institutions. And we doubt the law. But today you are the law. You ARE the law. Not some book… not the lawyers… not the, a marble statue… or the trappings of the court. See those are just symbols of our desire to be just. They are… they are, in fact, a prayer: a fervent and a frightened prayer. In my religion, they say, “Act as if ye had faith… and faith will be given to you.” IF… if we are to have faith in justice, we need only to believe in ourselves. And ACT with justice. See, I believe there is justice in our hearts.

[he sits down]

評議のために一旦退廷した陪審員たちは、やがて法廷に現れ、評決の結果を裁判官に答申…。

「評決」(シドニー・ルメット監督,1982年)(4)に続く

辣腕弁護士の策略-「評決」(シドニー・ルメット監督,1982年)(2)

「評決」(シドニー・ルメット監督,1982年)(1)

病院側の代理人は、高名な辣腕弁護士のコンキャノン。勝つためには手段を選ばず、事務所の若い弁護士たちに、つねづね、「依頼者に“ベストを尽くした”と言ってはならない。」と教えています。「弁護士たるもの、ただ、“勝った”とだけ言え。」というのです。

“You’re not paid to do your best. You’re paid to win.” And that’s what pays for this office… pays for the pro bono work that we do for the poor… pays for the leisure we have to sit back and discuss philosophy as we’re doing tonight. We’re paid to win the case.”

ギャルビンの行きつけのバーに現れたのがきっかけで、ベッドを共にし、事件の調査に協力し始める知的な女性は、コンキャノンに雇われたスパイでした。患者の立場で医療ミスを証明してくれるはずの麻酔医学の権威者は、突然、「電話の届かない」カリブ海のリゾートに雲隠れする。病院スタッフたちの宣誓供述書が周到に準備され、事故は、被害者の体質に起因する不可避のものとされる…。

事件担当の判事は、偏頗そのもので、訴訟手続きについてのコンキャノンの主張をすべて認める反面、示談を拒絶したギャルビンを罵倒し、ギャルビンの証人尋問に強引に介入して妨害する…。

「評決」(シドニー・ルメット監督,1982年)(3)に続く

貧乏弁護士に新事件が…-「評決」(シドニー・ルメット監督,1982年)(1)

弁護士過剰のアメリカで揶揄的に使われる言葉に“Ambulance Chaser”があります。サイレンを鳴らして走る救急車を追いかけて、被害者や遺族から訴訟などの依頼を受けようと事件現場や病院に現れる、“仕事あさり”の貧乏弁護士を指します。

「評決」The Verdictでポール・ニューマンが演じる“飲んだくれ弁護士”のフランク・ギャルビンも、まさにその1人。新聞で、見知らぬ人の0bituary(死亡記事)を見ては葬式に参列し、死者の妻に「生前、懇意にしていただいた」などと名詞を差し出して相続事件などの依頼を受けようとするが、成功率はきわめて低く、面罵されて追い出されることもある。妻とは離婚し、手持ち事件は3年間でわずか4件で、荒れ果てた事務所には秘書を置くこともできません。
見かねた友人の弁護士が、「おいしい」仕事を回してくれる。3年前、出産のためにカトリック教会系の大病院に入院し、麻酔ミスで死産のうえ、すべての知覚・感覚を奪われてベッドに繋がれたままの女性(の妹)が依頼者です。すでに訴訟は提起されていて、病院側は、医療過誤を隠すため、新任のギャルビンに示談金21万ドルを支払うと提示。ギャルビンは、着手金を取らない代わりに、3分の1の7万ドルの成功報酬を簡単に手にすることができるとニンマリする…。
しかし、「金のための三百代言」に成り果てたギャルビンに、植物人間としてベッドに横たわる被害者を見つめるうちに、弁護士としての社会正義の感覚と闘争本能がよみがえる。ギャルビンは、無謀にも、この「おいしい」提案を拒絶して、医療過誤であることを証拠に基づき判決で明らかにしようとする…。

「評決」(シドニー・ルメット監督,1982年)(2)に続く