「著作権法」入門【第3回】

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4 著作権法と意匠法の比較

(1) 意匠とは
意匠法がデザイン保護法であることは前述のとおりです。意匠法が保護の対象とするデザイン=「意匠」とは、「物品の形状、模様若しくは色彩又はこれらの結合であって、視覚を通じて美感を起させるもの」(意2条1項)とされています。

著作権法は、基本的には文化法(文化の発展に寄与することを目的とする法律―著1条)であり、「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」(著2条1項1号)としての著作物を保護するものであるのに対し、意匠法は、基本的には産業法(産業の発達に寄与することを目的とする法律―意1条)であり、工業的手段によって量産される物品(製品)に表現したデザイン形態を保護するものです。

(2) 登録の要否  
著作権は、創作行為によって何らの方式を要さず「自動的」に発生し、享受できる(著17条2項)のに対し、意匠権は、出願→審査→登録を経なければ権利自体が発生しません。意匠登録の要件は次のとおりです。

① 工業上利用できること

② 新規性があること

③ 創作が容易でないこと(創作非容易性=進歩性)

④ 先願に係る意匠の一部と同一または類似の意匠でないこと

(3) 権利の内容
著作権の内容は、著作権法に人格権・財産権として限定的に列挙されています。これに対し、意匠法には人格権に関する規定がなく、意匠権者は、 「経済産業省令で定める物品の区分」の範囲内で、業として登録意匠(類似する意匠を含む)の実施をする権利を専有します(意23条)。

(4) 権利の保護(存続)期間
著作権の保護は、創作者が自然人である場合、創作の時に始まり、死後50年を経過するまで存続します(著51)。 意匠権の保護期間は、設定登録日から最高20年間(意21)です。

次回から著作権法の具体的な内容に入ります。

「著作権法」入門【第2回】

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3 産業財産権法とは

(1) わが国の現行の産業財産権法(旧称・工業所有権法)に共通する原理は以下の通りです。

ァ  権利主義  国家の恩恵によって権利が付与されるのではなく、知的な創作を行った者が、権利として付与を請求できるという主義(知的な創作とは無関係の商標法を除く)(vs.恩恵主義)

ィ  先願主義  同一発明等が競合した場合、先の出願者に権利が付与されという主義(vs.先発明主義)

ウ  審査主義  国家の審査により、一定の要件を満たす出願についてのみ権利を付与するという主義(実用新案法を除く)(vs.無審査主義)

エ  登録主義  登録によって権利が発生するとする主義(vs.無方式主義)

(2) 産業財産権法と登録制度

以下、わが国の産業財産権法に共通する登録制度を、「特許」制度を例に概観します。
工業所有権法研究グループ編「知っておきたい特許法」(㈱朝陽会)は、1980年に特許庁関係者によって刊行された産業財産権法の概要を示す手頃な入門書です。以下の記述では、同書の対応ページを示しますのでご参照下さい。

ァ 出願
特許を得るためには、発明をした者などが特許庁長官に文書(願書)で出願することが必要です。願書には、「明細書」、「特許請求の範囲」、必要な図面などを添付します。「明細書」は、「発明の詳細な説明」を記載したものでなければなりません(法36)。

ィ 出願公開
特許庁長官は、出願から1年6月後に出願内容を公開します(法64)。この制度は、出願件数の増大が審査の遅延を招き、出願された発明の公表が遅れることによって、重複研究、重複投資という社会全体から見た弊害が生ずることから、これを除去する目的で1970年に設けられたものです。  
公開があった後に第三者が「業として」その発明を実施したときは、出願人は、設定登録を受けた後、その第三者に「補償金」の支払いを請求することができます(法65)。

ウ 出願審査の請求
出願の審査は、陳腐化した出願や誤算的出願など独占的権利を付与する必要のない出願についての無駄を省くことを目的として、出願人からの審査の請求を待って行われます(1970年改正によるもの―法48の3)。

エ 審査 「特許庁審査官」による審査事項は、次のとおりです(法29)。
・ 発明、すなわち自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度なものであるかどうか。
・ 産業上利用できる発明であるかどうか。
・ 新規な発明であるかどうか。
・ 進歩性を有するかどうか
・ すでに世間で知られた技術から容易にその発明をすることができるものであるかどうか。
・ 他人より先の出願であるかどうか。

オ 拒絶理由の通知
審査官が拒絶理由を見出したときは、拒絶理由が出願に通知されます。補正などにより解消されれば、特許査定がされ、解消しない場合には、拒絶査定がされます(以上の手続につき、「知っておきたい特許法」図表4(p18)参照)。

「著作権法」入門【第1回】

はじめに
 私が著作権に関する法律実務に携わるようになって、30年以上が過ぎました。その間、何度か、著作権事件の最高裁の法廷に立った経験もあります。
5年前からは、浜松市の静岡文化芸術大学の大学院で、著作権法を中心とする知的財産権法の概論の集中講義を担当するようになり、また、10年ほど前には、武蔵野美術大学で著作権法講座の非常勤講師を数年間務めております。
 民法などの基本法すら学んだことのない院生や学生に著作権という専門化された領域に関する法律を理解させるのは、予想外に難しく、司法研修所や弁護士会で著作権の最新判例の話をする方がはるかに気楽であることが分かりました。
 今回の当事務所のホームページでの「著作権法入門」の企画は、これまでの経験を生かし、法律の「素人」の方々に著作権とは何かという基本的な知識を得ていただこうとするものです。内容が平易であることを心がけますが、「質」を落とすことなく、大学の講義録を下敷きにしながら最先端の話題にも触れてみるつもりでおります。 
みなさんと一緒に著作権法と現代社会との係わり合いについて考える場とすることができれば幸いです。

第1 知的財産権の概要
1 知的財産権とは
 著作権は、知的財産権の一種です。知的財産権とは、A「人間の精神的創作活動によって生じた発明、考案、デザイン、コンピュータ・プログラムや、小説、絵画、音楽のような創作物」と、B「商標、商号のような営業活動における標識」に関する権利の総称です。cf. 図表1:「知っておきたい特許法」19訂版 p3
 Aに属する権利には、発明に関する特許権、考案に関する実用新案権、デザインに関する意匠権、創作的表現に関する著作権などがあり、Bに属する権利には、商標権などがあります。Aに属する権利の中の特許権、実用新案権、意匠権およびBに属する商標権は、権利の発生・取得のために国(特許庁長官)に対する出願~登録の手続きを要し、産業財産権(かつての工業所有権)と呼ばれます。Aに属する権利の中の著作権は、権利の発生・取得のために出願~登録その他の一切の手続きを要しないもので、産業財産権ではありません。

2 知的財産権法とは
 Aに属する法律として、特許法、実用新案法、意匠法、著作権法などがあり、Bに属する法律として、商標法などがあります。なお、Bに属する法律として、不正競争防止法があります。同法は、知的財産に関する具体的権利を定めるものではなく、出願~登録その他の手続きの有無にかかわらず、「営業活動における標識」の不正な使用などを規制するもので、知的財産権法の側面を有するものです。(続く)

4月の花(桜)を思う

1. 東京の桜も散る時季を間近に、今は盛りと咲いている。今日は、お釈迦様の誕生の日であり、「花祭り」の行事が催される地方も多い。釈迦の誕生日であるが、丁度桜の散るこの時期に思い起こされるのは、平安末期から鎌倉初期にかけて活躍した西行法師の桜の歌である。
  願わくは
   花のしたにて
     春死なん
   そのきさらぎの
     望月のころ
 桜をこよなく愛した西行のこの歌は、桜を詠んだ数多くの歌の中でもつとに有名である。
 この歌は、西行が亡くなる7年前に歌集選定の勅命により作られた「千載和歌集」に載せられ、西行は、1190年3月31日午後2時ころ、河内の弘川寺で入滅したが、その知らせを聞いた京の都の人々は即座にこの歌を思い浮かべたという逸話が残っている。
 「西行の風景」(NHKブックス)を著した桑子敏雄氏の解説によれば、西行と親交が深かった藤原俊成は、西行の歌を「詞あさきに似て心ことにふかし」と述べ、後鳥羽院は「心がことに深い」と評価したという。

2. 西行の風景を詠う和歌には、表象的な風景の背後に隠された「空間意識」のようなものが控えており、それは弘法大師が伝達した密教の「空間意識」(厳密には虚空)と同根で、その「空間」に日本の文化(和歌)を映し出したというのが桑子氏の分析である。西行が50歳の時に、崇徳院の霊を慰めるため讃岐国を訪ね、善通寺にて暫く庵を結んだという来歴からみて、誠にスリリングな解釈である。

3. 日本人の持つ「空間意識」というのはどのようなものであろうか。東京では高層タワーが乱立し、「空間」は単なる物理的な要素に貶められている。これに対して京都は、平成16年に「景観法」を策定し、建物の高さを制限するばかりでなく、建物の形態、色彩、意匠等に制限を加えて、1200年を超える古都の景観を守ろうとしている。政治経済中心の東京都と文化を伝承する京都市の「空間意識」のあり方を思うとき、4月の花はどちらの町が似合うのか論ずるのも一興と思える今日この頃である。

4. 4月8日を祝して、「千載和歌集」からもう1句、西行の桜の歌をここに現したいと思う。

 仏には
  さくらの花を
   たてまつれ
  わがのちの世を
   人とぶらはば

NHK会長人事について思う

1. NHKの籾井会長の「慰安婦発言」が物議を醸し、国内だけではなく外交にも影響を及ぼし始めている。籾井氏は、三井物産の副社長から日本ユニシスを経て、昨年12月にNHKの第21代会長に選任された人物である。民間会社から官営会社に転じた籾井氏の経歴をみて、戦前に三井物産の社長を務め、昭和38年に官営会社であった国鉄に第5代総裁に就任した石田禮助を思い起こした。石田禮助の伝記を記した城山三郎氏の書籍で表題にもなっている「粗にして野だが卑ではない」(文春文庫)は、国会の初登院であった昭和38年5月21日の衆議院運輸委員会における石田の総裁就任の弁として紹介されている。粗野であるが、傲慢ではなく、(品性・行動)は卑しくないという趣旨である。昔、三井・三菱の2大商社の社風に関して、人の三井、組織の三菱という言葉があったと記憶している。まさしく、石田の言葉は、良い意味で三井物産の社風を反映するものである。

2. 籾井氏が歴史問題に対してどのような個人的な考えを持つのか、市民と同様の自由を持つべきは当然のことではあるが、不可解なのは、NHK会長職としての抱負を聞かれたときに、ワザワザこの発言をしているという事実である。NHK会長人事に関して、時の政府の意向が色濃く反映されていると多くのメディアが報道している中で、会長の発言は、自己の選任にかかわった者に対する「追従」【ここでは「ツイショウ」と読む】と捉えられても仕方のない行為であろう。「追従」とはこびへつらうことであり、品性・行動が卑しくないことと対極にある言葉である。籾井氏のその後の記者会見における記者とのやりとりなどを見るとやや上半身をのけぞらせて、いかにも不満げな様子で応答をしている。意向に沿わない記者会見とは思うが、このような人物が公共放送のトップというのは寂しい限りである。

3.NHK会長及び経営委員のあり方に焦点があたっているが、宛て職ではなく、本当に公共放送を担う人材を確保するためには、組織と運営について一層の「独立性」を制度的に確保する必要があると思われる。

遠い過去と近い過去

1. 若いときと異なり、新聞の記事について、読む順番が少し変わってきた。天気予報は最初で定番の位置にあるが、訃報記事がずいぶんと前に来たように思える。高齢者が亡くなるのは自然の摂理であるものの、亡くなるには早い世代の方の訃報に接すると何とも言いようのない重苦しさを感じる。筆者のまわりでもこの数年間に30代から60代の同業者・知人が相次いで逝去したが、これらの死に対してはただ無念としか言うほかない。

2. 最近読んだ本で、「そして最後にヒトが残った」(副題:ネアンデルタール人と私たちの50万年史)白陽社と「中華人民共和国史15講」(王丹著・ちくま文庫)が印象に残る。

前者は、約3万年前まで我々の先祖のホモ・サピエンスと共存していたネアンデルタール人の足跡を多様な面から論ずるものである。ネアンデルタール人に限らず、ホモ・サピエンスに先行する複数の人類グループが世界各地に拡散していたが、「適切な時に適切な場所にいること」ができなくなり、結局、滅亡の途をたどった。ホモ・サピエンスが生き残ったのは「わずかの能力と運のおかげ」に過ぎない。数百万年という時間をかけた人類の生態系に対して、過去1万年の間、現生人類が成し遂げてきた技術的・文化的偉業がミスマッチになりつつあるという警告は、遠い過去からのメッセージとして受け止める必要があるだろう。

後者は、1989年6月の天安門事件のリーダーとして、当局に「反革命扇動宣伝罪」や「陰謀政府転覆罪」に問われ、アメリカに亡命した学者が2010年に台湾の国立清華大学で行った中華人民共和国史に関する講義を紹介するものである。筆者も中国に関する断片的な知識はあるものの、1949年の建国以来の現代史を読んだのははじめてであり、その歴史にかかわった生身の人間の行動を、多くの文献から光をあてた本書は近年まれに見る好著である。このような近い過去でも、数多くのことを封印してしまう、かの国の体制はいつまで延命をするのか、見届けたいと思うのは私だけではないと考える。

3.アストラ・ピアソルの作曲にかかる「OBLIVION」(邦訳の造語:忘却)という曲がある。忘却というより追憶という邦題の方が似合う曲である。ピアノとバイォリンの組み合わせも良いが、できればヨーヨーマのチェロで聞きたいものである。この曲を遠い過去・近い過去に去っていった諸々の人々及び亡くなった私の知人らへの追憶として、ここに捧げたいと思います。

面会交流をサポートするウェブサービス

The our familiy wizard は,アメリカ発の別居/離婚した夫婦間における子どもの監護と面会交流をサポートするウェブサービスです。面会交流の日程調整,元夫婦間の伝言機能,支出管理,子どもの写真などのファイル保存・交換などの機能があります。

このサービスが成り立つ背景には,面会交流の実施によって元夫婦・子どもに強い心理的負担が生じる点があります。

面会交流( visitation )とは,父母が別居/離婚した場合に,子どもと同居していない父又は母と子との面会及びその他の交流のことを言います(離婚について民法766条)。子どもと同居している父又は母から見れば,子どもを元夫・妻と会わせる訳ですから,そこには感情的な葛藤が入ります。特に,協議離婚できず調停・裁判離婚になった事案ではこじれにこじれており,顔も見たくない・関わり合いになりたくないといった関係になっていることがよくあります。

こうした事案で面会交流を実現しようとすると,お互いに不愉快な思いをしながら我慢して行うか,第三者に面会交流の一部又は全部を委託するしかありません。

面会交流の実施について,どの段階まで第三者が関わるかは,面会交流の回数と元夫婦間の心理的葛藤の強弱次第です。関与する第三者としては,弁護士,親族,友人知人がほとんどですが,面会交流仲介サービスを有料で行っているNPO法人もあります。仲介サービスの内容は次の3種類です。

1 面会交流の日程調整
2 子どもの受渡し
3 面会交流の付添

あるNPO法人の料金設定では,1が5000円以上,2が1万0000円以上,3が1万5000円以上であり,フルコースで依頼すると1回3万0000円以上となりますが,元夫婦間の感情的対立に巻き込まれるリスクを考慮するとそれ程高くはないという印象を持ちました。弁護士に依頼しても同水準の報酬になるのではないかと思います。

The our familiy wizardに話を戻すと,このサービスは面会交流仲介サービスの第1段階を担うものです。ニーズの存在は以上に述べたとおりですが,WEBサービスであることのセールスポイントは,人間が介在しないことと価格です。面会交流は家庭内の行為なので,できれば他人を入れたくないという気持ちは当然です。価格は一人年間99ドルなので,元夫婦で198ドル必要になりますが,先の料金体系と比較すれば割安と考えられます。

私も面会交流の日程調整サービスがないかと探してこのサービスにたどり着いたのですが,残念ながら日本語には対応していませんでした。日本でも十分受け入れられるサービスだと思いますが,日本では面会交流仲介サービスが大々的に行われているわけではないので,サービスの価格が根付いていません。そのため,The our familiy wizardの料金設定は割高に感じるのではないでしょうか。

離婚コーディネートサービスのニーズはあるか?

Wevorceは,アメリカ発の離婚コーディネートサービスです。夫婦がWevorceに離婚のコーディネートを申し込むと,Divorce Architecs( テッククランチでは「離婚設計士」と仮訳されていますが,離婚コーディネータという訳はどうでしょうか。)が二人の間に立ち,財産分与,養育費,親権等について話合いを仲介します。少しひねりがあるのは話合いの過程をWevorceのソフトウェアがガイドする点で,これが売り物のようです。 サービスの主眼は離婚費用のコスト削減です。アメリカでは,夫婦双方に弁護士が付いた場合,離婚費用が高額になるのに対し(テッククランチの記事では3万ドル),Wevorceでは1万ドルと安く上がる点にニーズがあるようです。

日本の弁護士である私から見ると,Wevorceのサービスは,裁判所の離婚調停そっくりに思えます。裁判所の離婚調停では調停のコーディネーターである調停委員男女2名が夫婦の間に入り,二人の意見を調整して行くという過程は,Wevorceのサービスとほとんど同じです。離婚調停では裁判官が調停の方向性をコントロールしているので,ソフトウェアによるガイドというひねりも目新しく感じません。 ここで日本の離婚制度を紹介します。離婚には,協議離婚と裁判離婚があります。協議離婚は夫婦が離婚で合意して離婚届を市町村に届ける方式,裁判離婚はその名のとおり裁判所で行う離婚のことです。 日本の離婚は,9割が協議離婚で,裁判離婚は1割程度です。協議離婚に弁護士が関与することは少なく,また,裁判離婚の中でも離婚調停には弁護士が付かないことが多いです。このブログの記事によれば,弁護士の関与率は離婚調停の4分の1,夫婦の一方だけに付くことを考えると1割強と推定され,全離婚事件における弁護士の関与率は1%とのこと。

弁護士を選任しない限り,協議離婚に費用は掛かりませんし,離婚調停の費用も多くて数万円です。弁護士関与率1%の日本と,多くのケースで双方に弁護士が付くアメリカとでは離婚に掛かる費用が違いすぎて,Wevorceのニーズを感じられません。

ニーズがあるとすれば,離婚調停では時間が掛かり過ぎる点と調停委員の質が一定ではない点でしょうか。ただ,夫婦の感情を冷ます意味で,時間が掛かることにも長所はあり,離婚コーディネーターの質も担保されるのか分からず,この点のニーズも大きくないように思います。

隣の芝生は青い? という名の離婚支援アプリ

“The Grass is Greener.”とは,1960年代のアメリカのコメディドラマです。直訳すると隣の芝生は青い,他人の物はよく見えるという意味で,物語は,自分たちのお城を観光客に案内して暮らしている夫婦の元に,石油王が訪れて,恋の三角関係に陥る…。よくありそうなプロットですが,この名を冠したスマートフォンアプリがリリースされているのを見付けました。

http://blog.larrybodine.com/2013/12/articles/tech/law-firms-new-app-helps-you-decide-about-divorce/

このアプリは,離婚を考えている人の決断を支援するサービスです。アプリはたくさんの質問をします。あなたが,その質問にはい又はいいえで答えると,離婚した方がいいとか悪いとか,どういう点に気を付けて生活すればいいか,を教えてくれます。

これをリリースしたのは,アメリカ合衆国のミネソタ州にあるGreen Law Office。家族法を専門とする法律事務所で,彼らは宣伝の一環としてこのアプリを作ったそうです。

質問の数は結構多く,答えるのに私はちょっと疲れました。もちろん,今のところ,私は離婚も考えていないですしね。

中国のインディペンデント映画とその規制(1)

いま、東京渋谷の「オーディトリウム渋谷」で、「第4回中国インディペンデント映画祭」が開催中で、2週間の間に、14本のフィクション・ノンフィクション作品が1日に3、4本ずつ上映。
主宰者は、「ごあいさつ」の中で次のように述べています。
「…中国のインディペンデント映画は、中国人の映像作家たちが自ら作り出した、非常にストレートな映像です。そこには政府の意図も、スポンサーの意向も、外国人の思い込みも入っていない,“個々の中国人が表現したいこと”が写っています。(略)こうした作品は中国国内でも殆ど観ることはできません。上映許可証がなければ映画館で公開できないのは当然ながら、民間で上映会を行う場合などでも、警察が来て突然解散させられたりします。昨年から今年にかけ、南京の中国独立影像年度展、雲南省昆明の雲之南記録映画展という2つの大きなインディペンデント映画祭が中止に追い込まれ、北京独立影像展という映画祭も、政府の圧力を受けて、事務所内での内部鑑賞会という形で何とか継続している状況です。一般の人たちに映画を見せる機会は奪われていると言ってもいいでしょう。」。

中山大樹著・「現代中国独立電影」にも、中国政府のインディペンデント映画に対する検閲について、次のような記載があります。
「…検閲の基準は明文化されておらず、担当者のさじ加減ひとつで非常に分かりにくい。検閲に触れる事項は多方面にわたり、政治批判や性描写、暴力シーンはもちろんのこと、幽霊などのオカルトも禁止だし、同性愛は不道徳ということで許されない。宗教をテーマにしたものも基本的にNGだ。」(p167)。

わが国の映画の規制は、映画界が設立した第三者審査機構である映画倫理委員会(1949年「映画倫理規程管理委員会」として発足)による4段階の「レイティング―rating」という、自主的・間接的なものです。このため、映倫審査を受けずに映画を一般公開する行為について、上映禁止措置がとられたり刑罰が科せられたりすることはなく、映倫審査自体を無用のものとするインディペンデント映画製作者も見られます。これと比較して、中国における映画の規制は、国家系・非国家系を問わず、国家権力による直接的なもので、映画法下の戦前のわが国を思い起こさせます。

以下、「中国インディペンデント映画祭」で観たいくつかの作品の感想を記します。