油彩画とフランス語&ワールドカップ

1 本年の4月から毎日曜日に千代田区神田須田町にある絵画教室に通い始めている。デッサン、水彩画、銅版画、油彩画とあるが私が選択したのは油彩画である。絵などは中学生の美術の時間以来、実に46年以上もご無沙汰であったことから、どうなるやらと思っていたが、思いの外楽しいひとときを過ごすことができている。生徒は、若い人から私のような年配者も在籍しており、各自のテーマについて先生が指導をしている。デッサンをする人は若い人が多く、美大の受験生かと思われる。油彩画の醍醐味は、色を重ねて行きながら、モチーフを自分なりに表現することにある。下書きのデッサンも大事であるが、どのようなマチエールを生み出すのかは、その人の個性にかかるところがあって、実に奥深いものと思う。絵を見ることは若いときから好きであり、海外旅行先や国内の美術館へは比較的多く足を運んでいる。私のお気に入りの画家は、アルベール・マルケ、モーリス・ブラマンク、アンリ・ルソー、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ、クロード・モネ、ポール・ゴーギャン、アンリ・マティスである。日本では佐伯祐三である。印象派より野獣派や素朴派と呼ばれる画家がどちらかというと私の好みである。絵の初心者であるが、風景画から出発し、人物画、そして静物画へと約10年計画で進もうと考えている。出発点の風景画では、アルベール・マルケを手本として画きたいと思っている。マルケは一時期、野獣派と交わったが、次第に独自の落ち着いたタッチの絵を多く描くことになった。彼の風景画の多くはパリの街、港や川などで、「水の画家」といわれているが、その落ち着いたタッチや構図・デッサンの確からしさは初心者の私には参考となる。

2 南フランスの地中海に面した漁村「コリウール」を描いたマティスやドランの作品がある。「コリウール」にはピカソも暫く滞在し、マルケにも「コリウールの眺望」という作品がある。彼の地には、地中海の碧い海と紅い屋根の建物があり、光と色彩が豊かで、画家の心を捉えたのも無理はない。ここには日本人が経営する小さなレストランがあると聞く。是非行ってみたい所である。ある程度フランス語が喋れれば、旅行も楽しくなると思い、急遽、絵と並行してフランス語も勉強することにした。43年前、大学の第2外国語はドイツ語であった。NHKの毎日フランス語という教材を使用しているが、この教材は、文法は最小にして、とにかく話せることに重心を置いており、私のような超初心者にとっては大変有用である。フランス語の数字は60までは、10進法による読み方になっているが、70から79までは60に10から19を足して数えるという妙な形となる。80は4×20となる。急に20進法に変化するのである。識者によれば、ベルギー、スイスでは10から90までは完全な10進法になっているという。石原元東京知事がフランス語の数字の読み方について、クレームをつけていたが、そのような読み方になったのには、何らかの理由があると思われる。○○朝のルイ王がそのような読み方を定めたとか様々な俗説が紹介されている。故阿部謹也先生の著書である「中世賤民の宇宙」という本では、西洋中世の時間、空間、モノのとらえ方が紹介されている(因みに阿部先生は、ヨーロッパ中世史の専門家である)。中世の世界では具体的な生活のリズムから、様々な時間・空間意識が形成されていたとされる。私の解釈では、昔は70まで生きる人など殆どいなかったし、日常生活で70以上の出来事を細かにあらわす必要がなかったのではないか?すなわち、中世は現代の日本社会のような高齢社会ではなく、石原氏のような後期高齢者は殆ど存在していなかった。70以上は数字も含め、文化的に格別の配慮をする必要がなく、70以上はあり合わせで構成すれば十分であったと考えたのではないか。古代のシュメール、バビロニアの60進法に10進法、20進法が混在したものがフランス語であると考えると歴史の雰囲気も感じることができる。このような様々な要素が混在するフランス語は、様々な色彩が交わる油彩画と妙に相性が良いと思うのは私だけであろうか。

追記
ワールドカップの試合がブラジルで始まった。私は、中学生の頃サッカーをしており、我がチームは川崎市の大会で優勝をしたことがある。当時の私のポジションはCF(センター・ハーフ)といい、今のMFである。2002年の日・韓ワールドカップの当時、司法研修所で民弁の教官をしていたおり、「皆さん、早く家や寮に帰って見て下さい」と言って、午後の講義を少し早く終わらせたことを懐かしく思い出す。日本チーム!頑張って下さい。応援しています。

以上

「著作権法」入門【第5回】

2 偶然の一致は権利侵害とならない。

(1) 特許権などの産業財産権は「絶対的権利」であるとされます。それは、発明者Aの発明について特許権が登録されると、その権利範囲内の他の発明者BCD…の発明を排斥して権利が保護され、他の発明者BCD…は、Aの発明との時間的前後や、Aの発明の特許権の存在を知っているか否かを問わず、発明の実施を禁止されるからです。

これに対し、著作権は「相対的権利」です。何故なら、著作者Aの著作物と著作者BCD…の著作物が客観的に見て同一であっても、著作者BCD…がAの著作物の存在を知りこれに依拠して―言いかえればAの著作物を模倣して―BCD…の著作物を作成したものでなければ、Aの著作物の権利はBBCD…の著作物に及ばないからです。この場合には、権利者を異にする同一内容の著作物が並存することになります。

(2) 訴訟では、原告Aの権利行使に対し、被告Bが「Aの著作物を知らなかった」「偶然の一致である」との主張を試みることがあります。この場合には、AはBの依拠の事実を証明しなければなりません。
しかし、Aの著作物とBの著作物との細部にわたる具体的表現が同一である(または著しく類似する)ときは、裁判所は「偶然の一致ではあり得ない」、すなわち依拠があったと判断するのが普通です。

しかし、 二つの著作物が、具体的表現においてではなく「アイデア」において同一または類似の場合には、かりにBがAの著作物の存在を知りこれにヒントを得てBの著作物を作成しても、Bの行為はAの著作権(複製権、翻案権)を侵害しません。前回述べたとおり、著作権の保護はアイデアに及ばないからです。

(3) アメリカ著作権法の権威のニンマー教授は、映画「ウェストサイド物語」とシェークスピアの戯曲「ロメオとジュリエット」(著作権の保護期間内と仮定)とを比較しながら、アイデアと表現の区別に関する「パターン・テスト」について説明しています。
①敵対的なグループに属する少年と少女がいる。
②二人はダンスで知り合う。
③二人は夜のバルコニー(非常口)で互いの愛を確かめ合う。
④少女には別の婚約者がいる。
⑤二人は結婚を誓う。
⑥敵対的グループが遭遇し、少女のいとこ(兄)が少年の無二の親友を殺す。
⑦そうなったのは、少年が暴力沙汰を避けようとして親友の手を押さえたからである。
⑧少年は仕返しに少女のいとこ(兄)を殺す。
⑨その結果、少年は逃げる(隠れる)。
⑩隠れ家にいる少年を少女に会わせるためのプランが送られる。
⑪その知らせは少年に届かない。
⑫少年は少女が死んだという誤った知らせを受け取る。
⑬悲しみのあまり、少年は自殺する(あえて殺される)。

ニンマー教授は、抽出した13要素をふまえ、この具体的なパターンが両作品に共通する以上、「ウェストサイド物語」と「ロメオとジュリエット」とは、アイデアの域にとどまらず、具体的表現において実質的に同一である(すなわち前者は後者の複製権または翻案権を侵害する。)と述べています(岡「マルチメディア時代の著作権の法廷」2000年 ぎょうせい p132)。
かりに、シェークスピアが「ウェストサイド物語」の脚本家等を著作権侵害で訴え、被告が「ロメオとジュリエット」を知らないと弁解しても、これほどの具体的表現の共通性があれば、裁判所は、「依拠」の事実を認めるでしょう。

「著作権法」入門【第4回】

「著作権法」入門第3回はこちら

第2 著作権の基礎知識

1「アイデア」と「表現」

(1) 著作権法の入門にあたって、まず、知っておくべき基礎知識が三つあります。

第1は、「アイデア」と「表現」の区別です。 著作権法は、「著作物」を「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう」(2条1項1号)と定義付けています。つまり、著作権法は、思想・感情の「創作的表現」を保護するもので、ある作品が「創作的表現」の成果か否かを識別するためには、「表現」と、その背後の「アイデア」とを区別して考察することが必要です。

日本法には、この区別に関する条項はありませんが、アメリカ連邦著作権法では、102条bで次のとおり明示されています。

In no case does copyright protection for an original work of authorship extend to any idea, procedure, process, system, method of operation, concept, principle, or discovery, regardless of the form in which it is described, explained, illustrated, or embodied in such work. (著作者による創作的作品の著作権の保護は、著作権のある原著作物に対する著作権の保護は、その作品における記述、説明、図示、具現の形式の如何を問わず、アイデア、手順、工程、方式、操作方法、概念、原理または発見には及ばない。)

(2) 著作権訴訟では、ある作品について原告が求める保護の範囲が「表現」か「アイデア」かが争われることが少なくありません。

例えば、薬剤を分類して薬剤情報を付した便覧の編集著作物性争われた「治療薬ハンドブック」事件判決(東京地裁平成24年8月31日判決―最高裁HP知的財産権判例集)では、 「原告の主張は、結局のところ、著作権法上保護の対象となる表現それ自体ではない、本件分類体系に従って薬剤を分類するという原告書籍の編集方針、すなわちアイデアの保護を求めるものというほかなく、失当である。」 として、原告の請求が棄却されています(控訴審で一部変更)。

(3) 例えば、平山郁夫画伯の、シルクロードの月の砂漠を行くラクダの隊商のリトグラフ画を思い浮かべて下さい。この絵の夜の砂漠の光景やラクダの姿や商人たちの表情などの具体的表現が保護されるのは当然として、シルクロードの月の砂漠を行くラクダの隊商を美術的表現の対象とすること自体は、アイデアに他なりません。もし、平山作品の保護範囲をアイデアにまで広げると、後発の画家は、そのような図柄で絵を制作しようとするたびに平山画伯(相続人)の許可を得なければならない。これでは絵画的表現の自由が大きく制約され、文化の発展に寄与するという著作権法の目的にも反することになりかねない。

このため、著作権の保護はアイデアなどに及ばないというのが、著作権法の基礎知識の一つなのです。

「著作権法」入門【第3回】

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4 著作権法と意匠法の比較

(1) 意匠とは
意匠法がデザイン保護法であることは前述のとおりです。意匠法が保護の対象とするデザイン=「意匠」とは、「物品の形状、模様若しくは色彩又はこれらの結合であって、視覚を通じて美感を起させるもの」(意2条1項)とされています。

著作権法は、基本的には文化法(文化の発展に寄与することを目的とする法律―著1条)であり、「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」(著2条1項1号)としての著作物を保護するものであるのに対し、意匠法は、基本的には産業法(産業の発達に寄与することを目的とする法律―意1条)であり、工業的手段によって量産される物品(製品)に表現したデザイン形態を保護するものです。

(2) 登録の要否  
著作権は、創作行為によって何らの方式を要さず「自動的」に発生し、享受できる(著17条2項)のに対し、意匠権は、出願→審査→登録を経なければ権利自体が発生しません。意匠登録の要件は次のとおりです。

① 工業上利用できること

② 新規性があること

③ 創作が容易でないこと(創作非容易性=進歩性)

④ 先願に係る意匠の一部と同一または類似の意匠でないこと

(3) 権利の内容
著作権の内容は、著作権法に人格権・財産権として限定的に列挙されています。これに対し、意匠法には人格権に関する規定がなく、意匠権者は、 「経済産業省令で定める物品の区分」の範囲内で、業として登録意匠(類似する意匠を含む)の実施をする権利を専有します(意23条)。

(4) 権利の保護(存続)期間
著作権の保護は、創作者が自然人である場合、創作の時に始まり、死後50年を経過するまで存続します(著51)。 意匠権の保護期間は、設定登録日から最高20年間(意21)です。

次回から著作権法の具体的な内容に入ります。

「著作権法」入門【第2回】

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3 産業財産権法とは

(1) わが国の現行の産業財産権法(旧称・工業所有権法)に共通する原理は以下の通りです。

ァ  権利主義  国家の恩恵によって権利が付与されるのではなく、知的な創作を行った者が、権利として付与を請求できるという主義(知的な創作とは無関係の商標法を除く)(vs.恩恵主義)

ィ  先願主義  同一発明等が競合した場合、先の出願者に権利が付与されという主義(vs.先発明主義)

ウ  審査主義  国家の審査により、一定の要件を満たす出願についてのみ権利を付与するという主義(実用新案法を除く)(vs.無審査主義)

エ  登録主義  登録によって権利が発生するとする主義(vs.無方式主義)

(2) 産業財産権法と登録制度

以下、わが国の産業財産権法に共通する登録制度を、「特許」制度を例に概観します。
工業所有権法研究グループ編「知っておきたい特許法」(㈱朝陽会)は、1980年に特許庁関係者によって刊行された産業財産権法の概要を示す手頃な入門書です。以下の記述では、同書の対応ページを示しますのでご参照下さい。

ァ 出願
特許を得るためには、発明をした者などが特許庁長官に文書(願書)で出願することが必要です。願書には、「明細書」、「特許請求の範囲」、必要な図面などを添付します。「明細書」は、「発明の詳細な説明」を記載したものでなければなりません(法36)。

ィ 出願公開
特許庁長官は、出願から1年6月後に出願内容を公開します(法64)。この制度は、出願件数の増大が審査の遅延を招き、出願された発明の公表が遅れることによって、重複研究、重複投資という社会全体から見た弊害が生ずることから、これを除去する目的で1970年に設けられたものです。  
公開があった後に第三者が「業として」その発明を実施したときは、出願人は、設定登録を受けた後、その第三者に「補償金」の支払いを請求することができます(法65)。

ウ 出願審査の請求
出願の審査は、陳腐化した出願や誤算的出願など独占的権利を付与する必要のない出願についての無駄を省くことを目的として、出願人からの審査の請求を待って行われます(1970年改正によるもの―法48の3)。

エ 審査 「特許庁審査官」による審査事項は、次のとおりです(法29)。
・ 発明、すなわち自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度なものであるかどうか。
・ 産業上利用できる発明であるかどうか。
・ 新規な発明であるかどうか。
・ 進歩性を有するかどうか
・ すでに世間で知られた技術から容易にその発明をすることができるものであるかどうか。
・ 他人より先の出願であるかどうか。

オ 拒絶理由の通知
審査官が拒絶理由を見出したときは、拒絶理由が出願に通知されます。補正などにより解消されれば、特許査定がされ、解消しない場合には、拒絶査定がされます(以上の手続につき、「知っておきたい特許法」図表4(p18)参照)。

「著作権法」入門【第1回】

はじめに
 私が著作権に関する法律実務に携わるようになって、30年以上が過ぎました。その間、何度か、著作権事件の最高裁の法廷に立った経験もあります。
5年前からは、浜松市の静岡文化芸術大学の大学院で、著作権法を中心とする知的財産権法の概論の集中講義を担当するようになり、また、10年ほど前には、武蔵野美術大学で著作権法講座の非常勤講師を数年間務めております。
 民法などの基本法すら学んだことのない院生や学生に著作権という専門化された領域に関する法律を理解させるのは、予想外に難しく、司法研修所や弁護士会で著作権の最新判例の話をする方がはるかに気楽であることが分かりました。
 今回の当事務所のホームページでの「著作権法入門」の企画は、これまでの経験を生かし、法律の「素人」の方々に著作権とは何かという基本的な知識を得ていただこうとするものです。内容が平易であることを心がけますが、「質」を落とすことなく、大学の講義録を下敷きにしながら最先端の話題にも触れてみるつもりでおります。 
みなさんと一緒に著作権法と現代社会との係わり合いについて考える場とすることができれば幸いです。

第1 知的財産権の概要
1 知的財産権とは
 著作権は、知的財産権の一種です。知的財産権とは、A「人間の精神的創作活動によって生じた発明、考案、デザイン、コンピュータ・プログラムや、小説、絵画、音楽のような創作物」と、B「商標、商号のような営業活動における標識」に関する権利の総称です。cf. 図表1:「知っておきたい特許法」19訂版 p3
 Aに属する権利には、発明に関する特許権、考案に関する実用新案権、デザインに関する意匠権、創作的表現に関する著作権などがあり、Bに属する権利には、商標権などがあります。Aに属する権利の中の特許権、実用新案権、意匠権およびBに属する商標権は、権利の発生・取得のために国(特許庁長官)に対する出願~登録の手続きを要し、産業財産権(かつての工業所有権)と呼ばれます。Aに属する権利の中の著作権は、権利の発生・取得のために出願~登録その他の一切の手続きを要しないもので、産業財産権ではありません。

2 知的財産権法とは
 Aに属する法律として、特許法、実用新案法、意匠法、著作権法などがあり、Bに属する法律として、商標法などがあります。なお、Bに属する法律として、不正競争防止法があります。同法は、知的財産に関する具体的権利を定めるものではなく、出願~登録その他の手続きの有無にかかわらず、「営業活動における標識」の不正な使用などを規制するもので、知的財産権法の側面を有するものです。(続く)

4月の花(桜)を思う

1. 東京の桜も散る時季を間近に、今は盛りと咲いている。今日は、お釈迦様の誕生の日であり、「花祭り」の行事が催される地方も多い。釈迦の誕生日であるが、丁度桜の散るこの時期に思い起こされるのは、平安末期から鎌倉初期にかけて活躍した西行法師の桜の歌である。
  願わくは
   花のしたにて
     春死なん
   そのきさらぎの
     望月のころ
 桜をこよなく愛した西行のこの歌は、桜を詠んだ数多くの歌の中でもつとに有名である。
 この歌は、西行が亡くなる7年前に歌集選定の勅命により作られた「千載和歌集」に載せられ、西行は、1190年3月31日午後2時ころ、河内の弘川寺で入滅したが、その知らせを聞いた京の都の人々は即座にこの歌を思い浮かべたという逸話が残っている。
 「西行の風景」(NHKブックス)を著した桑子敏雄氏の解説によれば、西行と親交が深かった藤原俊成は、西行の歌を「詞あさきに似て心ことにふかし」と述べ、後鳥羽院は「心がことに深い」と評価したという。

2. 西行の風景を詠う和歌には、表象的な風景の背後に隠された「空間意識」のようなものが控えており、それは弘法大師が伝達した密教の「空間意識」(厳密には虚空)と同根で、その「空間」に日本の文化(和歌)を映し出したというのが桑子氏の分析である。西行が50歳の時に、崇徳院の霊を慰めるため讃岐国を訪ね、善通寺にて暫く庵を結んだという来歴からみて、誠にスリリングな解釈である。

3. 日本人の持つ「空間意識」というのはどのようなものであろうか。東京では高層タワーが乱立し、「空間」は単なる物理的な要素に貶められている。これに対して京都は、平成16年に「景観法」を策定し、建物の高さを制限するばかりでなく、建物の形態、色彩、意匠等に制限を加えて、1200年を超える古都の景観を守ろうとしている。政治経済中心の東京都と文化を伝承する京都市の「空間意識」のあり方を思うとき、4月の花はどちらの町が似合うのか論ずるのも一興と思える今日この頃である。

4. 4月8日を祝して、「千載和歌集」からもう1句、西行の桜の歌をここに現したいと思う。

 仏には
  さくらの花を
   たてまつれ
  わがのちの世を
   人とぶらはば

NHK会長人事について思う

1. NHKの籾井会長の「慰安婦発言」が物議を醸し、国内だけではなく外交にも影響を及ぼし始めている。籾井氏は、三井物産の副社長から日本ユニシスを経て、昨年12月にNHKの第21代会長に選任された人物である。民間会社から官営会社に転じた籾井氏の経歴をみて、戦前に三井物産の社長を務め、昭和38年に官営会社であった国鉄に第5代総裁に就任した石田禮助を思い起こした。石田禮助の伝記を記した城山三郎氏の書籍で表題にもなっている「粗にして野だが卑ではない」(文春文庫)は、国会の初登院であった昭和38年5月21日の衆議院運輸委員会における石田の総裁就任の弁として紹介されている。粗野であるが、傲慢ではなく、(品性・行動)は卑しくないという趣旨である。昔、三井・三菱の2大商社の社風に関して、人の三井、組織の三菱という言葉があったと記憶している。まさしく、石田の言葉は、良い意味で三井物産の社風を反映するものである。

2. 籾井氏が歴史問題に対してどのような個人的な考えを持つのか、市民と同様の自由を持つべきは当然のことではあるが、不可解なのは、NHK会長職としての抱負を聞かれたときに、ワザワザこの発言をしているという事実である。NHK会長人事に関して、時の政府の意向が色濃く反映されていると多くのメディアが報道している中で、会長の発言は、自己の選任にかかわった者に対する「追従」【ここでは「ツイショウ」と読む】と捉えられても仕方のない行為であろう。「追従」とはこびへつらうことであり、品性・行動が卑しくないことと対極にある言葉である。籾井氏のその後の記者会見における記者とのやりとりなどを見るとやや上半身をのけぞらせて、いかにも不満げな様子で応答をしている。意向に沿わない記者会見とは思うが、このような人物が公共放送のトップというのは寂しい限りである。

3.NHK会長及び経営委員のあり方に焦点があたっているが、宛て職ではなく、本当に公共放送を担う人材を確保するためには、組織と運営について一層の「独立性」を制度的に確保する必要があると思われる。

遠い過去と近い過去

1. 若いときと異なり、新聞の記事について、読む順番が少し変わってきた。天気予報は最初で定番の位置にあるが、訃報記事がずいぶんと前に来たように思える。高齢者が亡くなるのは自然の摂理であるものの、亡くなるには早い世代の方の訃報に接すると何とも言いようのない重苦しさを感じる。筆者のまわりでもこの数年間に30代から60代の同業者・知人が相次いで逝去したが、これらの死に対してはただ無念としか言うほかない。

2. 最近読んだ本で、「そして最後にヒトが残った」(副題:ネアンデルタール人と私たちの50万年史)白陽社と「中華人民共和国史15講」(王丹著・ちくま文庫)が印象に残る。

前者は、約3万年前まで我々の先祖のホモ・サピエンスと共存していたネアンデルタール人の足跡を多様な面から論ずるものである。ネアンデルタール人に限らず、ホモ・サピエンスに先行する複数の人類グループが世界各地に拡散していたが、「適切な時に適切な場所にいること」ができなくなり、結局、滅亡の途をたどった。ホモ・サピエンスが生き残ったのは「わずかの能力と運のおかげ」に過ぎない。数百万年という時間をかけた人類の生態系に対して、過去1万年の間、現生人類が成し遂げてきた技術的・文化的偉業がミスマッチになりつつあるという警告は、遠い過去からのメッセージとして受け止める必要があるだろう。

後者は、1989年6月の天安門事件のリーダーとして、当局に「反革命扇動宣伝罪」や「陰謀政府転覆罪」に問われ、アメリカに亡命した学者が2010年に台湾の国立清華大学で行った中華人民共和国史に関する講義を紹介するものである。筆者も中国に関する断片的な知識はあるものの、1949年の建国以来の現代史を読んだのははじめてであり、その歴史にかかわった生身の人間の行動を、多くの文献から光をあてた本書は近年まれに見る好著である。このような近い過去でも、数多くのことを封印してしまう、かの国の体制はいつまで延命をするのか、見届けたいと思うのは私だけではないと考える。

3.アストラ・ピアソルの作曲にかかる「OBLIVION」(邦訳の造語:忘却)という曲がある。忘却というより追憶という邦題の方が似合う曲である。ピアノとバイォリンの組み合わせも良いが、できればヨーヨーマのチェロで聞きたいものである。この曲を遠い過去・近い過去に去っていった諸々の人々及び亡くなった私の知人らへの追憶として、ここに捧げたいと思います。

面会交流をサポートするウェブサービス

The our familiy wizard は,アメリカ発の別居/離婚した夫婦間における子どもの監護と面会交流をサポートするウェブサービスです。面会交流の日程調整,元夫婦間の伝言機能,支出管理,子どもの写真などのファイル保存・交換などの機能があります。

このサービスが成り立つ背景には,面会交流の実施によって元夫婦・子どもに強い心理的負担が生じる点があります。

面会交流( visitation )とは,父母が別居/離婚した場合に,子どもと同居していない父又は母と子との面会及びその他の交流のことを言います(離婚について民法766条)。子どもと同居している父又は母から見れば,子どもを元夫・妻と会わせる訳ですから,そこには感情的な葛藤が入ります。特に,協議離婚できず調停・裁判離婚になった事案ではこじれにこじれており,顔も見たくない・関わり合いになりたくないといった関係になっていることがよくあります。

こうした事案で面会交流を実現しようとすると,お互いに不愉快な思いをしながら我慢して行うか,第三者に面会交流の一部又は全部を委託するしかありません。

面会交流の実施について,どの段階まで第三者が関わるかは,面会交流の回数と元夫婦間の心理的葛藤の強弱次第です。関与する第三者としては,弁護士,親族,友人知人がほとんどですが,面会交流仲介サービスを有料で行っているNPO法人もあります。仲介サービスの内容は次の3種類です。

1 面会交流の日程調整
2 子どもの受渡し
3 面会交流の付添

あるNPO法人の料金設定では,1が5000円以上,2が1万0000円以上,3が1万5000円以上であり,フルコースで依頼すると1回3万0000円以上となりますが,元夫婦間の感情的対立に巻き込まれるリスクを考慮するとそれ程高くはないという印象を持ちました。弁護士に依頼しても同水準の報酬になるのではないかと思います。

The our familiy wizardに話を戻すと,このサービスは面会交流仲介サービスの第1段階を担うものです。ニーズの存在は以上に述べたとおりですが,WEBサービスであることのセールスポイントは,人間が介在しないことと価格です。面会交流は家庭内の行為なので,できれば他人を入れたくないという気持ちは当然です。価格は一人年間99ドルなので,元夫婦で198ドル必要になりますが,先の料金体系と比較すれば割安と考えられます。

私も面会交流の日程調整サービスがないかと探してこのサービスにたどり着いたのですが,残念ながら日本語には対応していませんでした。日本でも十分受け入れられるサービスだと思いますが,日本では面会交流仲介サービスが大々的に行われているわけではないので,サービスの価格が根付いていません。そのため,The our familiy wizardの料金設定は割高に感じるのではないでしょうか。