妻と愛人を殺してどうする…-裁判と映画(2)

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「約束」が暴き出す刑事司法の「負」の要素を一言でいえば、「自白の尊重」です。奥西は、重要参考人の段階で、「三角関係の清算のために妻と愛人の両方を毒殺することを企て、懇親会会場の公民館で1人となった隙に、ぶどう酒に農薬を入れた」ことを自白し、逮捕される。公判廷では、これを覆して否認に転じるが、結局、この捜査段階の自白は信用できるとして、死刑が確定する…。

ところで、私小説作家・広津和郎は、松川事件に深く関わる中で、「列車転覆致死」の実行犯として死刑を宣告された被告人らの家庭や街頭での姿を、証拠を通してつぶさに点検。そして、当夜、家族や恋人たちとともに平和な生活を過ごしていた被告人らが、数時間後に、捜査段階での自白のとおり、いきなり、死刑をも覚悟の上で転覆現場に向けて走り出すことなどは―彼らが共産党員や労組活動家であっても―絶対にあり得ないと確信します。

これと同様に、『約束』の、奥西の母(樹木希林)が支援者に「5歳の娘と13歳の息子を残して、妻と愛人とを殺して、どうしようというのか」と訴えるシーンには、私小説的なリアリティがあります。奥西が、小さな村落内での三角関係に悩んでいたとして、その清算の方法には、父親としての責任感を伴ったさまざまな選択肢があるはずです。捜査機関の「二人を毒殺」という究極のシナリオは、広津の言葉を借りて、「人間というものは、そう簡単に片付けられるものではない。」と評すべきでしょう。

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