遠い過去と近い過去

1. 若いときと異なり、新聞の記事について、読む順番が少し変わってきた。天気予報は最初で定番の位置にあるが、訃報記事がずいぶんと前に来たように思える。高齢者が亡くなるのは自然の摂理であるものの、亡くなるには早い世代の方の訃報に接すると何とも言いようのない重苦しさを感じる。筆者のまわりでもこの数年間に30代から60代の同業者・知人が相次いで逝去したが、これらの死に対してはただ無念としか言うほかない。

2. 最近読んだ本で、「そして最後にヒトが残った」(副題:ネアンデルタール人と私たちの50万年史)白陽社と「中華人民共和国史15講」(王丹著・ちくま文庫)が印象に残る。

前者は、約3万年前まで我々の先祖のホモ・サピエンスと共存していたネアンデルタール人の足跡を多様な面から論ずるものである。ネアンデルタール人に限らず、ホモ・サピエンスに先行する複数の人類グループが世界各地に拡散していたが、「適切な時に適切な場所にいること」ができなくなり、結局、滅亡の途をたどった。ホモ・サピエンスが生き残ったのは「わずかの能力と運のおかげ」に過ぎない。数百万年という時間をかけた人類の生態系に対して、過去1万年の間、現生人類が成し遂げてきた技術的・文化的偉業がミスマッチになりつつあるという警告は、遠い過去からのメッセージとして受け止める必要があるだろう。

後者は、1989年6月の天安門事件のリーダーとして、当局に「反革命扇動宣伝罪」や「陰謀政府転覆罪」に問われ、アメリカに亡命した学者が2010年に台湾の国立清華大学で行った中華人民共和国史に関する講義を紹介するものである。筆者も中国に関する断片的な知識はあるものの、1949年の建国以来の現代史を読んだのははじめてであり、その歴史にかかわった生身の人間の行動を、多くの文献から光をあてた本書は近年まれに見る好著である。このような近い過去でも、数多くのことを封印してしまう、かの国の体制はいつまで延命をするのか、見届けたいと思うのは私だけではないと考える。

3.アストラ・ピアソルの作曲にかかる「OBLIVION」(邦訳の造語:忘却)という曲がある。忘却というより追憶という邦題の方が似合う曲である。ピアノとバイォリンの組み合わせも良いが、できればヨーヨーマのチェロで聞きたいものである。この曲を遠い過去・近い過去に去っていった諸々の人々及び亡くなった私の知人らへの追憶として、ここに捧げたいと思います。