「芙蓉鎮」(謝晋(シェ・チン)監督・1986年)を観て-映画に対する規制(2)

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最近DVDで観た「芙蓉鎮」の感想をつけ加えておきます。DVDの包装に記されたあらすじは、次のとおりです。

「1963年、中国湖南省の南にある小さな町、芙蓉鎮。器量好しと評判の胡玉音が営む米豆腐の店は、大いに繁盛していた。夫ともども必死に働いたおかげで店を新築することもできた。ところが、自由化引き締め政策とともに資本主義者と糾弾され、家を没収、夫も殺されてしまう。1966年、文革が始まった。胡玉音は右派インテリと蔑まれていた秦書田と一緒に暮らすようになっていたが、文革の嵐のなかで、さらに厳しい時代を迎えていた。やがて文革が終結したとき…。」
主演女優リュウ・シャオチン(劉暁慶)は、1980年代の中国映画を代表する大女優。当時は鄧小平よりも中国国民に知られた有名人で、その後の私生活上のスキャンダルなどのため、「中国のエリザベス・ティラー」と呼ばれています。

「芙蓉鎮」は、党の地方幹部たちの硬直した官僚主義と人権侵害を暴き出しています。党支配に苦しむ農民の「もう終わりだ、いや終わっていない…。」といううめき声は、帝政ロシア末期の圧政下の農民が発するような現実感があります。それにもかかわらず、この映画が何重もの検閲をパスしたのは、文革の「傷跡映画」として、すべての中国人に共通する「負」の経験を癒す効果をもたらしているからでしょう。

胡玉音夫婦に激しい迫害を加えた女性の党幹部は、文革で一時失脚して紅衛兵に吊るし上げられ、ふしだらな女の象徴である破れた靴を首に掛けられて侮辱されます。女性幹部はこのシーンによって文革の共通の被害者として描かれた後、文革後は人民のために働く「正しい」幹部になることが暗示され、文革前の罪悪は帳消しにされています。

細かい情景では、党の下級幹部・王(女性幹部の情人)が文革期にふりかざす赤い小冊子には「毛沢東語録」のタイトルの文字や毛沢東の肖像は見られません。また、文革終了時に発狂した王がボロをまといながら街中で叫び続ける文革期のスローガンは「政治闘争を続けよう!」であって、「階級闘争を…」ではありません(後者を揶揄の対称にすることが許されるはずがありません)。
「芙蓉鎮」には、「黄色い大地」や「紅いコーリャン」に見られるような映像的冒険はありません。「父もの」的なハッピーエンドの結末もやや鼻につきます。

しかし、この映画が、文化大革命(文革)という政治的・歴史的な大事件を市井の若い女性の目をとおしてリアルに描く、重厚な作品であることは、まぎれもない事実です。

映画に対する規制(3)に続く