人間に対する理解力、洞察力があれば…-「12人の怒れる男」(シドニー・ルメット監督 1957年)(4)

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人間に対する理解力、洞察力があれば…

映画「12人の怒れる男」では、裁判については全くの「素人」である陪審員たちの手によって、法廷での証言や物的証拠のあらゆる疑点が一つずつ冷静に点検されています。しかし、わが国では、このような点検は、経験豊かな法律家でなければ不可能な、高度に専門的な作業であるかのように長く思われてきました。
64年前に発生した「松川事件」は、第1審では被告人20名のうち5名が死刑、5名が無期懲役、その他も有期懲役の有罪判決を受けながら、14年後の第2次最高裁判決によって全員の無罪が確定するという、典型的な冤罪事件でした。作家広津和郎は、第1審判決後に刊行された獄中被告の手記「真実は壁を通して」に接して被告人らの無罪を確信し、裁判批判の文筆活動を開始。 
これに対し、熊谷弘・東京地裁判事は、「中央公論」1955年3月号に「公開状」を発表し、
「…裁判の結果が自分の素朴的な考えと一致しないからというて、納得ゆかないとするのは、全くルールを知らないでスポーツを見て、その勝敗が納得ゆかないと抗議するのと同じように、およそ戯画的な風景ではないでしょうか。」
と広津を揶揄的に批判します。同月号に併載された「熊谷判事に答える」で、広津は次のように反論。
「…ルールを知らなければ裁判は分からないというお説は、一面もっともであると思います。法律家でない私は、裁判の手続きとか運用とかは知りません。(中略)…そういう問題と離れて、法廷記録によって、被疑者の行動を調べるというような事は、何もルールに拠らなくても出来るように思います。その点については現に判決文を読みましても、事理の審理はルールによってはいないようです。それはルールよりは、人間に対する理解力、洞察力のようです。」