弱者が強者に打ち勝つとき-「評決」(シドニー・ルメット監督,1982年)(4)

「評決」(シドニー・ルメット監督,1982年)(3)

わが国には、民事裁判における陪審制度はありません。大正期に一時導入された陪審制度は、刑事事件を対象とするもので、数年前に始まった裁判員制度も、法定刑の重い罪の刑事事件のみが対象です。

しかし、民事裁判についても陪審制度を持つアメリカでは、とくに特許などの専門領域の裁判に、常識だけが頼りで感情に流されやすい「素人」の陪審員を参加させることのマイナス面が取り上げられています。

本映画も、判断について高度の専門知識を必要とする医療ミスの民事事件がテーマですが、陪審員の実際の判断は、受付調査表の数字が改ざんされたか否かという、常識に基づく判断が十分に可能なものでした。

「素人」の常識を恐れた裁判官は、陪審員に対し、「証言は無効」とされた以上、聞いたばかりの証言を頭の中で消去せよと説示。しかし、そのような操作について訓練を受けた法律家であればともかく、「素人」たちにそれができるはずがありません。

ギャルビンは、その意味での「素人」の健全さにかけ、裁判官とコンキャノンの専門知識を駆使した策略にとらわれずに、陪審員の心の中にある「正義」に従って判断して欲しい―You ARE the law. IF… if we are to have faith in justice, we need only to believe in ourselves.―と訴えたのです。

現代社会には強者(富者、専門家)と弱者(貧者、素人)が厳然と存在し、社会的強者が、常に圧倒的な力で社会的弱者を支配している。それにもかかわらず、弱者は、ときに強者に打ち勝って社会的正義を実現することができる。この映画は、アメリカの社会と市民が、健全にも、正義実現の手段や方法を失っていないことを示すものとして、感動的です。陪審制度を持たないわが国では、このようにダイナミックな「弁護士もの」映画が生まれる余地がありません。

終わり