「治外法権」の天領-新疆ウィグル自治区を旅して(5)

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1949年、人民解放軍が新疆ウィグル地区を「解放」した後、毛沢東は、国境警備(民族紛争対策も?)のため、一部の兵士を帰郷させず屯田兵として残留させました。それ以来、同地区には自治区政府の権力が及ばない漢族のみが居住する「天領」的な軍の直轄地が点在するようになり、現在でも、四川省大地震で壊滅した村の漢族村民をそっくり移住させた例も含めて、新たな漢族居留地が増設されています。カシュガルの人民広場には巨大な毛沢東像が金色に輝き、ホータンの人民広場には、毛沢東がウィグル族の老人を抱擁するかのような像が立っている…。

ホータンの100キロほど手前の国道沿いに、ホータン川から巨大な水路を引いた新オアシスが造成中でした。その奥の従来のオアシスの住民は、全員がウィグル族。新オアシスでは、農業は行われず、奥のオアシスの果物その他の農産物を缶詰などに加工するプラントの団地となる予定ですが、ここでも、住民としては自治区外からの漢族の入居が予定され、ウィグル族は「地域おこし」の「蚊帳の外」だという…。

冒頭で述べた自治区の人口約2100万人には、「天領」の漢族約250万人は含まれていません。後者は、駐留する人民解放軍の軍属として扱われ、統計上区別されているそうです。

終わり

前回の終点だった敦煌郊外の「西の方…を出ずれば」の陽関跡に再び立ち、そのとき参加した親友2人をあい次いで失っていることもあって、感無量でした。しかし、前回は日本人観光客であふれていた敦煌市内も世界遺産の莫高窟もガランとして閑古鳥が鳴くばかり。かつては1日に8組はあった日本人のツアーグループは、今ではせいぜい1組だとか。これは、4年前の大規模なウィグル族・漢族の衝突事件と昨年来の尖閣問題の影響のようです。

敦煌が、シルクロード好きの日本人によってふたたび賑わいを取り戻すことを願いつつ、帰国の途につきました。