映画に描かれた中国の裁判(2)

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外国旅行の都度、言葉が分かるかどうかは別にして、裁判所を見つけては法廷を勝手に傍聴し(ロンドンの法廷では、裁判官も弁護士も銀髪のカツラをかぶっているのに、ビックリ仰天)、弁護士会などを予約なしに訪ねることにしている私にとっては、このような拒絶はカルチャー・ショックに値しました。

これは、私たちの研究会で学んだとおり、中国では、弁護士のみならず、裁判官も検察官も、共産党によって完全に支配されているという事実の反映でしょう(広渡清吾編『法曹の比較法社会学』・鈴木賢「中国の法曹制度」に詳しい)。つまり、司法権が独立し、裁判は常に公開され、弁護士会は権力の干渉を受けることのない自治組織である…という、わが国の法曹にとっての公理が、現代の中国ではまったく通用しないのです。

この研究会では、他にもさまざまなことを学びました。たとえば、「憲法-総則・統治機構」について検討する中で、いまさらながら衝撃を受けたのは、憲法の「前文」に「マルクス・レーニン主義、毛澤東思想及び鄧小平理論に導かれて」、「社会主義の道を堅持し…我が国を…社会主義国家として建設する」などの言葉が登場すること、人民代表大会(人大)が国家の権力機関として全権的地位に立ち、統治機構が「三権分立」とは完全に異質な論理で貫かれていることなどです。

社会主義堅持のタテマエと市場経済のホンネとの関係など、興味は尽きないのですが、前置きはこれくらいにして、映画「再生の朝に」に戻ります。

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