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民主主義にとってすばらしいが…-「12人の怒れる男」(シドニー・ルメット監督 1957年)(5)

「12人の怒れる男」(シドニー・ルメット監督 1957年)(4)はこちら

 「12人の怒れる男」は、素人の健全な感覚(広津のいう「人間に対する理解力、洞察力」)によって専門家の虚偽を暴くという点で、映画「評決」と共通するものがあります。

「怒れる」陪審員の一人は、評議の過程で次のような心情を吐露。
「この陪審制度は、民主主義にとってすばらしいことだといつも思っている。
われわれは、まったく見知らぬ人が有罪か無罪かを決めるために、この場所に来るように郵便で呼び出された。われわれにとって、評決は何の得にも損にもならない。これが、われわれが強い(strong)理由の一つだ。」(映画字幕では、「この国が強い理由だ」とされています)。
最後に、陪審制度に対する「手放し」の礼賛に疑問を投げかける人がいることも紹介しておきます。
在米の日本人で、カリフォルニア州裁判所の書記官として働く女性は、
「…裁判所も市民も今後どれだけ負担が増えることになっても、アメリカの陪審制度は絶対に変わらないだろう。陪審裁判を受ける権利が言論の自由のような基本的権利と同列で『誰も疑問視しないもの』として広く受け入れられており、人々のどこかに『その権利を守るために自分が義務を果たさなくてはいけない』という考えがあるからだ。」
という「タテマエ」論を認めながらも、陪審法廷に立ち会ったこれまでの経験に即して、
「アメリカの陪審裁判と日本の裁判(員)制度、今はどちらにしても博打の要素が大きすぎると思う。だから私は、『法律のプロである裁判官1人』が判決を下す法廷裁判を選択する。」
と言い切り、陪審裁判に対するアメリカ人の「ホンネ」が次のようなものであることを、最後に披露しています(*2)。
Do you really want to be judged by someone who was not smart enough to get out of Jury duty?
 わが国における裁判員制度の導入が、「民主主義にとってすばらしい」ことは事実ですが、その功罪を正確に評価するためには、しばらくの年月を要するものと思われます。
(*2) 伊万里穂子「私ならぜったいに選ばない陪審裁判」―田口理穂ほか「『お手本の国』のうそ」・新潮新書)。

終わり

人間に対する理解力、洞察力があれば…-「12人の怒れる男」(シドニー・ルメット監督 1957年)(4)

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人間に対する理解力、洞察力があれば…

映画「12人の怒れる男」では、裁判については全くの「素人」である陪審員たちの手によって、法廷での証言や物的証拠のあらゆる疑点が一つずつ冷静に点検されています。しかし、わが国では、このような点検は、経験豊かな法律家でなければ不可能な、高度に専門的な作業であるかのように長く思われてきました。
64年前に発生した「松川事件」は、第1審では被告人20名のうち5名が死刑、5名が無期懲役、その他も有期懲役の有罪判決を受けながら、14年後の第2次最高裁判決によって全員の無罪が確定するという、典型的な冤罪事件でした。作家広津和郎は、第1審判決後に刊行された獄中被告の手記「真実は壁を通して」に接して被告人らの無罪を確信し、裁判批判の文筆活動を開始。 
これに対し、熊谷弘・東京地裁判事は、「中央公論」1955年3月号に「公開状」を発表し、
「…裁判の結果が自分の素朴的な考えと一致しないからというて、納得ゆかないとするのは、全くルールを知らないでスポーツを見て、その勝敗が納得ゆかないと抗議するのと同じように、およそ戯画的な風景ではないでしょうか。」
と広津を揶揄的に批判します。同月号に併載された「熊谷判事に答える」で、広津は次のように反論。
「…ルールを知らなければ裁判は分からないというお説は、一面もっともであると思います。法律家でない私は、裁判の手続きとか運用とかは知りません。(中略)…そういう問題と離れて、法廷記録によって、被疑者の行動を調べるというような事は、何もルールに拠らなくても出来るように思います。その点については現に判決文を読みましても、事理の審理はルールによってはいないようです。それはルールよりは、人間に対する理解力、洞察力のようです。」

 

怒り、対立しながら…-「12人の怒れる男」(シドニー・ルメット監督 1957年)(3)

「12人の怒れる男」(シドニー・ルメット監督 1957年)(2)

これに対し、無罪説は、8番の陪審員1人だけで、その理由も、I just want to talk. つまり有罪の確信が持てないから、よく話し合おうという程度のもの。しかし、有罪にせよ無罪にせよ、少なくとも刑事事件の評決は全員一致であることを要するという制約のため、暑い夏の午後の評議が、有罪説の11人にとっては嫌々ながら始まります。

8番の陪審員は、まず、珍しい彫刻の柄を持つ凶器の「飛び出しナイフ」とまったく同じものが6ドルの質流れ品で売られていたと実物を披露。次いで、評議室内での再現実験により、歩行の不自由な老人がベッドから起きて現場が見える場所まで移動するには45秒を要すること(証言では10秒)が判明。高架線のそばで3日間仕事をした経験のある6番の陪審員(塗装職人)は、高架線を列車が通過する際の激しい騒音で、老人には「殺してやる」という叫び声が聞こえたとは思えないという。9番と8番の陪審員は、メガネなしで出廷した女性証人の鼻にメガネ跡があったことを思い出し、通過列車ごしに18メートル先の現場が見えたという証人が、現場を凝視するために不可欠なメガネを掛けていなかった可能性を指摘する…。

幼年期をスラムで過ごし「飛び出しナイフ」に精通する5番の陪審員は、「飛び出しナイフ」でとっさに攻撃する場合の刺し傷の形態について、重要な疑問を提起。陪審員たちは、ときに殴りあいの寸前まで感情を露骨に表し、怒り、対立しながらも、結果的には、証言や物的証拠のあらゆる疑点を一つずつ冷静にチェックします。

午後7時までに、無罪説は11人となる。有罪説は、高校のフットボール・コーチだという3番の陪審員だけ。その陪審員も、最後に、不仲な不良息子への悪感情が被告人の少年を有罪とする無意識の根拠であったことを認め、ついに全員による無罪の評決が成立する…。(続く)

(*1)ヘンリー・フォンダ主演映画でも、 Penguin Classicsの演劇脚本でも16才とされているが、19才とするバージョンもある(調査中)。

「12人の怒れる男」(シドニー・ルメット監督 1957年)(4)

圧倒的多数の有罪説-「12人の怒れる男」(シドニー・ルメット監督 1957年)(2)

「12人の怒れる男」(シドニー・ルメット監督 1957年)(1)

被告人は16歳(*1)の少年(ヒスパニック系の混血か)。父親に殴られたことを恨みに、深夜、アパート2階の自宅で父親を「飛び出しナイフ」で刺殺したとして起訴されている。法廷の陪審員の前で目撃状況を克明に述べた検察側証人の1人は、鉄道高架線を隔てた近所の45歳の女性で、通過する列車ごしに自宅の窓から犯行を目撃したと証言。もう1人は、同じアパート1階の高齢の1人暮らし男性。深夜、「殺してやる」という階上の叫び声と人が倒れる物音を聞き、アパート出入り口に駆け寄ると、顔見知りの少年が逃走するのを見たと述べている。弁護人は「無能」な国選で、有効な反対尋問を行っていない(ただし演劇でも映画でも法廷シーンは一切なし…)。
このため、議論に入る前の最初の評決では、有罪説が11人という圧倒的多数。その理由は、2人の証言が具体的で信用できる、父親に殴られたという動機がある、凶器の特異なデザインのナイフが現場で保全されている、少年は犯罪の温床のスラム出身だ、少年はアリバイとして犯行時には映画館にいたというが映画の題名を言えなかった…などさまざまです。陪審員の1人は、当夜のニューヨーク・ヤンキースのナイトゲームに間に合うよう、とりあえず多数説に加担したようです。

「12人の怒れる男」(シドニー・ルメット監督 1957年)(3)

互いに名前も知らない陪審員たち-「12人の怒れる男」(シドニー・ルメット監督 1957年)(1)

「12人の怒れる男」を初めて観たのは、教養課程の学生だった頃です。それから半世紀以上が過ぎて、数日前、「つたや」で借りたDVDで、古典となったこの白黒作品を再び鑑賞。12人の男たちが、裁判所の階段を下り、巨大な神殿のような玄関の柱を抜けて四方に急ぎ足で散っていく、印象的なラストシーンが甦りました。

記憶のうすれで、「怒れる男」という表題は、検察の不正に怒りをもって立ち向かった12人の陪審員を示すものと思い込んでいました。しかし、DVD鑑賞の後でPenguin Classicsの演劇脚本をよく読んでみると、至るところに、angrily, his anger rising, shouting, yelling, shut up, his face dark with rage, stare at each other…などの「と書き」が使われ、I’ll kill him(論争相手の陪審員を)という恐ろしいセリフも登場します。つまり、「12人の怒れる男」は、陪審員たちが全員一致の評決に至るまでの、「怒り」に満ちた言語的格闘(乱闘寸前で警備員が駆けつけたほど)を内容とするものだったのです。

この映画では、見ず知らずの12人の男たちが、法廷で裁判官から「死刑の余地のある第1級殺人事件」であることの注意を受けるシーンから前述のラストシーンの直前に至るまで、すべて密室内での男たちの半日にわたる激論の描写に徹しています。男たちは、お互いに名前すら知らされず、陪審員番号で呼び合う。しかし、職業だけは、経験や体験についての発言の中で、建築士(ヘンリー・フォンダの演じる8番の陪審員)の他、銀行員、時計職人、体育コーチ、株ディーラー、労働者…と、さまざまであることが分かります。

「12人の怒れる男」(シドニー・ルメット監督 1957年)(2)

勅令,今を生きる-勅令は生きている(下)

勅令は生きている(上)

日本国憲法施行の際,勅令に関しては次の法律が併せて施行されました(附則に「この法律は,日本国憲法施行の日から,これを施行する。」とあります。)。

・日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律
また,同法に基づいて,
日本国憲法施行の際現に効力を有する勅令の規定の効力等に関する政令
も併せて施行されています。

上記二つの法令によって,勅令は次のように整理されました
・日本国憲法上,法律で定めなければならない事項を定めた勅令は,昭和22年12月31日までは法律と同一の効力があり,その後失効する。
・それ以外の勅令は政令と同一の効力を有する。

そのため,後者の勅令は政令となって現在も生きることになります。手近にある有斐閣判例六法をめくったところ,「拒絶証書令」が載っていました(太政官布告として爆発物取締罰則が載っていました。)。

なお,ポツダム命令は,サンフランシスコ講和条約の発行後,ポツダム緊急勅令と共に廃止されました。ただし,物価統制令等の命令は,「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く経済安定本部関係諸命令の措置に関する法律」等によって,現在も法律としての効力を有しています。

法律トリビアは以上です。

終わり

勅令とは何か-勅令は生きている(上)

勅令とは,実に古めかしい言葉です。これは大日本帝国憲法8条1項又は9条に基づき天皇が発する命令のことを言います。

戦後,日本国憲法が制定され,勅令も過去のことになったかと思いきや,実は勅令は生きています。

まずは,勅令の基礎知識からです。勅令には緊急勅令と(狭義の)勅令があります。
8条1項に基づく勅令は緊急勅令のことです。憲法で法律事項とされている事項も対象とできますが,国会の承諾が必要で,国会が承諾しない場合は将来に向かって効力を失います(8条2項)。
狭い意味での勅令は9条に基づく勅令のことです。この勅令は法律事項以外の事項を規定できます(以下ではこの勅令を話題とします。)。

勅令は天皇が発する命令ですが,戦前も日本の国政は立憲君主制なので,天皇の裁量で勅令を出すのではなく,政府の判断で勅令を発することになります。勅令は法律と同等の効力があります。つまり,行政が,国会を通さず,法律の委任もなく法律と同等の効力のある法令を定めることができるので,民主主義の観点からは非常に問題の大きな制度でした。

勅令の名称には「令」が付きます。有名な勅令としては,国民徴用令,小学校令,大学令などがあります。

勅令は戦後も活躍しました。ポツダム宣言の受諾によって連合国の指示を実施する必要があったので,天皇は(もちろん政府の判断で)「『ポツダム』宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件」(いわゆるポツダム緊急勅令)を発しています。ポツダム緊急勅令に基づいて,物価統制令等の命令が発せられています。これらの命令を創傷してポツダム命令と言います。

勅令は生きている(下)