月別アーカイブ: 2013年8月

弱者が強者に打ち勝つとき-「評決」(シドニー・ルメット監督,1982年)(4)

「評決」(シドニー・ルメット監督,1982年)(3)

わが国には、民事裁判における陪審制度はありません。大正期に一時導入された陪審制度は、刑事事件を対象とするもので、数年前に始まった裁判員制度も、法定刑の重い罪の刑事事件のみが対象です。

しかし、民事裁判についても陪審制度を持つアメリカでは、とくに特許などの専門領域の裁判に、常識だけが頼りで感情に流されやすい「素人」の陪審員を参加させることのマイナス面が取り上げられています。

本映画も、判断について高度の専門知識を必要とする医療ミスの民事事件がテーマですが、陪審員の実際の判断は、受付調査表の数字が改ざんされたか否かという、常識に基づく判断が十分に可能なものでした。

「素人」の常識を恐れた裁判官は、陪審員に対し、「証言は無効」とされた以上、聞いたばかりの証言を頭の中で消去せよと説示。しかし、そのような操作について訓練を受けた法律家であればともかく、「素人」たちにそれができるはずがありません。

ギャルビンは、その意味での「素人」の健全さにかけ、裁判官とコンキャノンの専門知識を駆使した策略にとらわれずに、陪審員の心の中にある「正義」に従って判断して欲しい―You ARE the law. IF… if we are to have faith in justice, we need only to believe in ourselves.―と訴えたのです。

現代社会には強者(富者、専門家)と弱者(貧者、素人)が厳然と存在し、社会的強者が、常に圧倒的な力で社会的弱者を支配している。それにもかかわらず、弱者は、ときに強者に打ち勝って社会的正義を実現することができる。この映画は、アメリカの社会と市民が、健全にも、正義実現の手段や方法を失っていないことを示すものとして、感動的です。陪審制度を持たないわが国では、このようにダイナミックな「弁護士もの」映画が生まれる余地がありません。

終わり

名誉毀損ツーリズムとフォーラムショッピング

最近,名誉毀損ツーリズムという言葉を知りました。
http://en.wikipedia.org/wiki/Libel_tourism

イギリスの名誉毀損法制が被害者に著しく有利なことから,外国からわざわざイギリスの裁判所まで行って名誉毀損の訴訟を起こすことを指しているようです。
イギリスの名誉毀損法制は日本と似ているとのことなので,(おそらく)原告は名誉毀損の外形的事実を指摘すればよく,被告が名誉毀損の免責要件(日本では,①事実の公共性,②公益目的,③真実性の3要件)を主張・立証しなければならないとしているのでしょう。

さらにイギリスでは,敗訴者が原告の弁護士費用まで負担するので,被告の不利益は甚大です。
http://www.comit.jp/uk/cost.htm

なお,日本では訴訟費用の負担で済みます。訴訟費用は大きな額にはならず,費用対効果の関係で,実務上は,請求しないままのことも多いです。

つまり,被告は名誉毀損の訴訟を提起された時点で経済的に高いリスクにさらされることになります。
こうした法制の場合,敗訴リスクが多少でもあるならば,被告は,判決まで戦うよりも,早期の和解を選択するのが合理的です。
以上の事情からイギリスは名誉毀損の被害者に著しく有利と言われるようです。

名誉毀損ツーリズムもフォーラムショッピング(自分に有利な判決が見込める裁判所に訴訟を提起すること。)の一つです。
アメリカなどでは,分野ごとに有利な裁判所が決まっているようで,どの裁判所を選択するかは勝敗に重大な影響があるようです。

フォーラムショッピングが可能になるのは,訴訟提起できる裁判所(これを管轄裁判所といいます。)を多数選択できることが条件です。日本では管轄裁判所の選択肢が広くないので(民事訴訟法訴訟4条~13条に規定があります。),あまりフォーラムショッピングの重要性は強調されていません。

それでもフォーラムショッピング的考慮をしないわけではありません。
たとえば,交通事故の損害賠償請求事件の場合,管轄裁判所は,原告の住所地,被告の住所地,交通事故の発生地を管轄する裁判所になります。
専門部がある東京地裁,名古屋地裁,大阪地裁で使用する損害賠償の基準が異なっています(東京は赤い本,名古屋は黄色本,大阪は緑の本)。損害賠償の基準は単純にあてはめればいいようでいて,あてはめ方にもちょっとしたノウハウがあり,あまり詳しくない基準で訴訟を戦いとは思いません。そのため,管轄裁判所に東京地裁があればそこに決めますし(事務所も近いですしね。),東京地裁がなければ慣れ親しんだ赤い本を使っている裁判所か交通専門部のある裁判所を選びます。

正義を実現する評決が…-「評決」(シドニー・ルメット監督,1982年)(3)

「評決」(シドニー・ルメット監督,1982年)(2)はこちら

しかし、ギャルビンは、病院側が隠していた最重要の証人を探し出す。それは、事故当日、病院の受付で患者から簡単な聞き取り調査を行い、調査票を作成していた看護婦志望の若い女性です。彼女は、陪審員たちの面前で、涙ながらに、事故直後に病院内でどのようなことが行われたかを証言。

ところが、辣腕博学のコンキャノンは、判例を駆使して、証言を無効とすることを申し立て、判事はこれを認めて、陪審員たちに、彼女の証言に影響されることなく評決を行うよう説示する…。

ギャルビンの最終弁論は次のようなものです。

You know, so much of the time we’re just lost. We say, “Please, God, tell us what is right; tell us what is true.” And there is no justice: the rich win, the poor are powerless. We become tired of hearing people lie. And after a time, we become dead… a little dead. We think of ourselves as victims… and we become victims. We become… we become weak. We doubt ourselves, we doubt our beliefs. We doubt our institutions. And we doubt the law. But today you are the law. You ARE the law. Not some book… not the lawyers… not the, a marble statue… or the trappings of the court. See those are just symbols of our desire to be just. They are… they are, in fact, a prayer: a fervent and a frightened prayer. In my religion, they say, “Act as if ye had faith… and faith will be given to you.” IF… if we are to have faith in justice, we need only to believe in ourselves. And ACT with justice. See, I believe there is justice in our hearts.

[he sits down]

評議のために一旦退廷した陪審員たちは、やがて法廷に現れ、評決の結果を裁判官に答申…。

「評決」(シドニー・ルメット監督,1982年)(4)に続く

辣腕弁護士の策略-「評決」(シドニー・ルメット監督,1982年)(2)

「評決」(シドニー・ルメット監督,1982年)(1)

病院側の代理人は、高名な辣腕弁護士のコンキャノン。勝つためには手段を選ばず、事務所の若い弁護士たちに、つねづね、「依頼者に“ベストを尽くした”と言ってはならない。」と教えています。「弁護士たるもの、ただ、“勝った”とだけ言え。」というのです。

“You’re not paid to do your best. You’re paid to win.” And that’s what pays for this office… pays for the pro bono work that we do for the poor… pays for the leisure we have to sit back and discuss philosophy as we’re doing tonight. We’re paid to win the case.”

ギャルビンの行きつけのバーに現れたのがきっかけで、ベッドを共にし、事件の調査に協力し始める知的な女性は、コンキャノンに雇われたスパイでした。患者の立場で医療ミスを証明してくれるはずの麻酔医学の権威者は、突然、「電話の届かない」カリブ海のリゾートに雲隠れする。病院スタッフたちの宣誓供述書が周到に準備され、事故は、被害者の体質に起因する不可避のものとされる…。

事件担当の判事は、偏頗そのもので、訴訟手続きについてのコンキャノンの主張をすべて認める反面、示談を拒絶したギャルビンを罵倒し、ギャルビンの証人尋問に強引に介入して妨害する…。

「評決」(シドニー・ルメット監督,1982年)(3)に続く

教育への投資から未来を考える

1 筆者は、現在、独立行政法人日本学生支援機構の「契約監視委員会」の委員として仕事をしています。この「契約監視委員会」というのは、平成21年11月17日の「独立行政法人の契約状況の点検・見直しについて」と題する閣議決定を受け、総務省行政管理局からの要請を受けて、各独立行政法人の監事及び外部有識者により構成されたものです。現在、独立行政法人は、特定独立行政法人が8法人、一般の独立行政法人は94法人があります。独立行政法人は民間企業との間で様々な契約を締結しますが、過去において、市場原理を無視した契約が「随意契約」の名の下に温存されていたことの反省から、その透明性を確保すべく、「契約監視委員会」のチェックを経て可能な限り競争性を持たせた契約に切り替えようとするのが目的です。

2 日本学生支援機構は、日本おける唯一の公的な奨学金の給付事業を行う団体です。2012年に限っても、全学生(大学・大学院・高専・専修学校)394万人余のうち、奨学金受給者は123万人余です。日本学生支援機構の事業費は1兆1000億円を超えるものです。奨学金については、無利息の第一種奨学金と利息付の第二種奨学金があることはご存知の方も多いと思います。現在、この奨学金の返還の滞納が問題となりつつあります。
滞納額は約800億円で滞納者は約34万人に達すると報道されています。平成23年度において、回収予定額は4639億円で、その対象人数は303万人と見込まれています。返還滞納が生じるのは、これまでの日本経済の状況を考えれば至極当然のことと思われます。バブル崩壊後、就職氷河期やデフレ経済のもとでは、職を得ることが容易でなくなり、ようやく職が得られても非正規の社員であったりして、職自体が不安定で所得も低いのです。更に、デフレ経済の下で日本の企業が取った行動は、人件費を中心とする間接経費の絞り込みであります。そのため、製造業は人件費の安い海外に進出し、国内で働く就業者は、季節的調整が可能な非正規の労働者が多くなりました。現在、安倍のミクスによる金融緩和政策等により、円安、株高が演出され、輸出型の大企業は恩恵を受けておりますが、サラリーマンの実質所得は上昇していません。サラリーマンの所得が上昇しない中で、教育の支出は漸増しており、大学を始め高等専門教育を受けるための経費は、家計の大きな負担となっています。最近のOECDの調査では先進国の中で、GDPに比して、公教育に対する支出が低い国として日本が挙げられていたのは大変ショックです。安倍政権は第三の矢である成長戦略を色々と論じていますが、目先の成長戦略より、教育に対する中・長期的な成長戦略を考えるべきかと思います。一つは、就学前の教育に対する公の投資の増大です。アメリカの調査でも、家庭の社会経済状況を反映した学力格差は小学校1年生の段階で既に存在しているとされています。不利な社会経済状況にある家庭の子どもは、小学校、中学校で豊かな家庭出身の子どもに学力の差をつけられており、それはそのまま、その後の低学力、低学歴につながり、大人になっても不利な社会経済状況に立たされるという貧困の連鎖に繋がります。この連鎖を断つ必要があります。二つめは、大学を始めとする高等教育の見直しです。国際比較では、日本は高等教育における私学の占める比率が高いとされており、その費用も安くありません。平均的なサラリーマンの家庭で2人の子どもを私立大学に通わせることは至難の業です。現在の大学は「金太郎飴」のような大学が多すぎます。ハイテクばかりでなくローテクでも有用性に優れた物を作り出すことは日本人の特性にむいていると思われます。その意味で、技術や実学に重点を置く高専などを公費により一層充実させた方が良いと考えます。日本学生支援機構の奨学金についても、貸付から給付への方向に切り替える事が望まれます。給付となれば財源を確保しなければなりませんが、将来の教育に対する投資こそ優先順位は高いものと位置づけることは多くの国民の賛同を得るものと考えます。

3 日本の将来の財政については、1000兆を超える借金の存在から悲観論が優勢です。この借金は、現役世代が引き継いで負担していくにはあまりに巨額なものです。高齢世代と若年世代との世代間の公平性は完全に失われている現状を前提にすれば、この世代間の不公平性を修正することは当然の事です。年金の受給年齢の引き上げも世界の趨勢であり、近いうちに65歳から68歳に変更になると思います。また、医療費の総量抑制もやむを得ないものと考えます。最近、出版された「2052」というヨルゲン・ランダースの著書に「公平さをめぐる世代間の争い」という項目があります。そこでは2020年代に、最初はヨーロッパ諸国、米国、その他のOECD加盟国において、世代間の緊張が増加して、大きな社会変動が起こる可能性があるとされている。これは議会での平和的な変化を通じてではない可能性がむしろ高いというのは少し驚きですが、私は、むしろ中国のような社会で大きな変動が起きるのではないかと予想しています。ヨルゲン・ランダースは「21世紀の後半までに、この世代間の闘争は終わり、人類はより公平で持続可能な世界を築く、若者はより幸せになり、年配者はその犠牲となる。」と結んでおり、完全な年配者である私は少し複雑な気持ちにさせられます。2052年は私が百歳に当たる年なので、そこまで生きて予想の当否を見てみたい気持ちになりました。

貧乏弁護士に新事件が…-「評決」(シドニー・ルメット監督,1982年)(1)

弁護士過剰のアメリカで揶揄的に使われる言葉に“Ambulance Chaser”があります。サイレンを鳴らして走る救急車を追いかけて、被害者や遺族から訴訟などの依頼を受けようと事件現場や病院に現れる、“仕事あさり”の貧乏弁護士を指します。

「評決」The Verdictでポール・ニューマンが演じる“飲んだくれ弁護士”のフランク・ギャルビンも、まさにその1人。新聞で、見知らぬ人の0bituary(死亡記事)を見ては葬式に参列し、死者の妻に「生前、懇意にしていただいた」などと名詞を差し出して相続事件などの依頼を受けようとするが、成功率はきわめて低く、面罵されて追い出されることもある。妻とは離婚し、手持ち事件は3年間でわずか4件で、荒れ果てた事務所には秘書を置くこともできません。
見かねた友人の弁護士が、「おいしい」仕事を回してくれる。3年前、出産のためにカトリック教会系の大病院に入院し、麻酔ミスで死産のうえ、すべての知覚・感覚を奪われてベッドに繋がれたままの女性(の妹)が依頼者です。すでに訴訟は提起されていて、病院側は、医療過誤を隠すため、新任のギャルビンに示談金21万ドルを支払うと提示。ギャルビンは、着手金を取らない代わりに、3分の1の7万ドルの成功報酬を簡単に手にすることができるとニンマリする…。
しかし、「金のための三百代言」に成り果てたギャルビンに、植物人間としてベッドに横たわる被害者を見つめるうちに、弁護士としての社会正義の感覚と闘争本能がよみがえる。ギャルビンは、無謀にも、この「おいしい」提案を拒絶して、医療過誤であることを証拠に基づき判決で明らかにしようとする…。

「評決」(シドニー・ルメット監督,1982年)(2)に続く