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映画と法【第4回】映画に描かれた中国の裁判(5)

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2009年に製作されたこの映画は、その時点の中国社会の「ひずみ」を余すところなく描きだしています。 まず、裁判に恨みを持つ者が、裁判官の家族をひき逃げしたと見られても、捜査は行われず、泣き寝入りせざるを得ないという現実。ティエンは、無力の小役人にすぎず、「法」を曲げようとしないのも、裁判官として生き延びるための保身術に他なりません。映画が映し出す裁判官の住まいや日々の食事の、なんと貧しいこと…。

死刑囚チウやその家族の極貧は、筆舌に尽くし難く、貧困が、有能な弁護人を付けられず、被害弁償もできない原因となっています。法廷でも拘置所でも、チウは、ほとんど喋らず、自己弁護を試みない。しかし、刑場で、足枷をはめられ後ろ手に縛られて銃口の前に跪くチウの姿は、無権利のままに放置され、反抗の術もない中国の民衆を象徴しています。

これに対し、地元の有力者のリー社長は、愛人と豪邸に住み、ベンツを乗り回し、悪徳弁護士を雇うことができます。愛人との「ベッドシーン」があり、「早く腎臓を取り換えて、もっと激しく…」という睦言も聞こえます。臓器売買が法律で禁止されているのはタテマエに過ぎず、裁判所は、有力者の移植計画を知りながら、これを黙認する…。 ティエンは、生きる望みを失いかけている妻のために、ペットの捕獲に椅子を振り上げて抵抗。これは、おそらくは権力の横暴に対するティエンの初めての反抗であり、保身に凝り固まった小役人の変身の兆しです。ティエンが、査問の席で、小役人の仮面を脱ぎすて、失職を恐れずに確信に満ちた答弁を行うことができたのは、人間として守るべきものが何かを知ったからです。 リウ・ジェ監督制作のこの映画は、中国社会の絶望的な現実を淡々と描写しながら、中国の人々に、限りない希望を与える作品と言えるでしょう。

終わり

映画に描かれた中国の裁判(4)

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一人娘の死後、妻の唯一の慰めのペットの犬(ペキネーズ?)が無届飼育を理由に警察に捕獲される。その際、ティエンは椅子を振り上げて暴れ、公務執行妨害で逮捕されるが、署長との友人関係でなんとか釈放。 チウは控訴審でも死刑。上告審が救済しない限り、数日中に執行されることになる。ティエンは、執行当日の朝、拘置所の庭で、チウに改めて死刑を宣告(上告が棄却された旨の告知?)。拘置されている間に他人を「密告」して他の犯罪の摘発に協力しなかったことや、被害弁償がされていないことなどが、死刑を執行する理由とされる。公衆が遠巻き見物できる河川敷の刑場には、移植医のチームが待機し、チウの腎臓をその場で摘出してリーの待つ病院に運ぶという手はずが整えられている。 後ろ手に縛られて跪いたチウの首筋に、銃口が突きつけられ、まさに発射されようとしたとき、裁判長として執行に立ち会っていたティエンは、同席の裁判所副所長の反対を無視し、チウめがけて走り出しながら、大声で…。

ティエンは、独断の行動について、裁判所長らから厳しい査問を受ける。ティエンは、毅然として、確信に満ちた答弁を行う。その日、自転車で自宅に帰るティエンの顔は、解放感に満ち、晴れ晴れと明るい。間もなく、ティエンの行為が「人権尊重」の見地から正しいという上級機関の判断が出される。夫婦は、もう一度子供を生んで見ようと思う…。

映画に描かれた中国の裁判(5)に続く

映画に描かれた中国の裁判(3)

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映画「再生の朝に」の舞台は、河北省(特別市の北京と天津を囲む地域)の北部の小都市。「たたき上げ」で裁判官となった初老のティエンには一人娘がいたが、盗難車によるひき逃げで事故死。「堅物」で融通がきかないティエンに恨みを持つ者の犯行らしい。妻は希望を失い、離婚したいという。 ティエンを裁判長とする法廷で、自動車2台の窃盗を働いた若者(チウ)の公判が始まる。その時点の刑法は、窃取した財物の価格が3万元(現約45万円)を超える場合の法定刑を死刑としているが、改正法では、窃盗罪の死刑は廃止されている。しかし、「法」を曲げようとしないティエンは、改正法が未施行であることを理由に、特段の減刑事由がないので死刑とすべきであると主張。これが合議体の結論となり、チウに死刑判決が下される。

地元の高額納税者のリー社長(40代?)は、腎臓が悪く透析を受けている。そこに弁護士が現れ、死刑判決を受けたチウの血液がリーと適合しているので、死刑執行後、直ちに移植を受けるという計画を持ちかける。弁護士は、チウの母に巧みに持ちかけ、10万元の支払い約束と引き換えに、チウの腎臓をリーに提供することの同意書を取る。獄中のチウも、最後の親孝行として同意書にサインする(ただし、中国でも臓器売買は法律で禁止されているので、金銭の支払いは書面化できない)。

映画に描かれた中国の裁判(4)に続く

映画に描かれた中国の裁判(2)

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外国旅行の都度、言葉が分かるかどうかは別にして、裁判所を見つけては法廷を勝手に傍聴し(ロンドンの法廷では、裁判官も弁護士も銀髪のカツラをかぶっているのに、ビックリ仰天)、弁護士会などを予約なしに訪ねることにしている私にとっては、このような拒絶はカルチャー・ショックに値しました。

これは、私たちの研究会で学んだとおり、中国では、弁護士のみならず、裁判官も検察官も、共産党によって完全に支配されているという事実の反映でしょう(広渡清吾編『法曹の比較法社会学』・鈴木賢「中国の法曹制度」に詳しい)。つまり、司法権が独立し、裁判は常に公開され、弁護士会は権力の干渉を受けることのない自治組織である…という、わが国の法曹にとっての公理が、現代の中国ではまったく通用しないのです。

この研究会では、他にもさまざまなことを学びました。たとえば、「憲法-総則・統治機構」について検討する中で、いまさらながら衝撃を受けたのは、憲法の「前文」に「マルクス・レーニン主義、毛澤東思想及び鄧小平理論に導かれて」、「社会主義の道を堅持し…我が国を…社会主義国家として建設する」などの言葉が登場すること、人民代表大会(人大)が国家の権力機関として全権的地位に立ち、統治機構が「三権分立」とは完全に異質な論理で貫かれていることなどです。

社会主義堅持のタテマエと市場経済のホンネとの関係など、興味は尽きないのですが、前置きはこれくらいにして、映画「再生の朝に」に戻ります。

映画に描かれた中国の裁判(3)に続く

映画に描かれた中国の裁判(1)

2011年にわが国で公開された中国映画「再生の朝に―ある裁判官の選択」(リウ・ジェ監督)は、困難な状況下で良心を貫く田舎町の裁判官を淡々と描く佳作です(ベルリン映画祭・銀熊賞受賞)。

主人公は、中国北部の小さな町の小さな裁判所に勤務する裁判官ティエン。毎日、古びた鉄筋アパートから自転車で裁判所に通う初老の男で、うだつの上がらないヒラの地方公務員という感じです。日本人のもつ「裁判官」のイメージとはほど遠く、おそらくは、共産党とのなんらかのコネで、法律の専門教育や司法試験を経ずに「裁判官」の職を得たものと思われます。

この映画の理解のために、中国の司法制度の現状に簡単に触れておきます。

数年前から、私は、同年の友人たちと現代中国の法制度について小さな研究会を持っています。そのメンバーが、2011年、上海市の裁判所や弁護士会を訪問することを思い立ち、公の団体を通さず、在日の中国律師(弁護士)を通して計画を進めました。しかし、外国人の私的な裁判所訪問や法廷傍聴は全面的に禁止されていて、外国人弁護士が各地の弁護士会を訪問するには、実に6ヶ月以上も前に中国外務部(外務省)に質問事項などを添えて申請し、許可を得なければならないことが判明。結局、訪問先は、上海市内の日本企業を顧客とする法律事務所と大学法学部に限定されました。もちろんそれなりの成果はありましたが…。

映画に描かれた中国の裁判(2)に続く