映画『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』を観る-裁判と映画(1)

この事件が発生したのは、1961年3月、三重県名張市はずれの山村。村民懇親会でふるまわれた農薬入りぶどう酒で女性5人が死亡した『名張毒ぶどう酒』事件です。6日後に、ぶどう酒を会場まで運んだ奥西勝が逮捕され、三角関係を清算するため、参加者中の妻と愛人の毒殺を計画したと一旦は自供するが、その後一貫して否認に転じる。

1964年、津地裁は、捜査段階の自白は信用性に乏しいことを理由に無罪を宣告。しかし、1969年、控訴審の名古屋高裁は、これを破棄して奥西に死刑を言い渡し、1972年の最高裁判決で死刑判決が確定。

その後、奥西は、自力で4度の再審請求を試み、すべて棄却される。第5次再審請求からは鈴木泉(現弁護団長)らの弁護人が担当することになり、2002年の第7次請求までに27名となる。2005年、名古屋高裁(小出淳一裁判長)は、「新証拠にてらし自白には重大な疑問がある」として再審開始と死刑の執行停止を初めて決定。だが、検察官の異議を受けた同高裁(門野博裁判長)は、2006年、この決定を取り消す。2010年、最高裁は、弁護人からの特別抗告を容れて事件を差戻し、現在、同高裁で第7次請求が再審理中…。

私は、先月、渋谷のユーロ・スペースで、東海テレビ「司法シリーズ」の放送番組を劇場映画化した、「『約束』―名張毒ぶどう酒 死刑囚の生涯-」を観ました。同シリーズの映画としては、実在の安田好弘護士の弁護活動を描いたドキュメンタリー・『死刑弁護人』などがありますが、『約束』は、ドキュメンタリー的な手法による「再現ドラマ」です。

映画を見るまでは、『名張毒ぶどう酒』事件は、三角関係の清算を計った奥西の犯行であるという、漠然とした先入観を抱いていました。しかし、仲代達矢、樹木希林という超一流のキャスト(ナレーション・寺島しのぶ)によるこの映画は、観客の先入観を完全に吹き飛ばし、事件の闇の中に引きずりこみます。仲代は、執行の恐怖におののきながら絶望的な挑戦を繰り返している死刑囚の姿を淡々と「再現」して見せます。「もし、私が(冤罪で)獄中に半世紀も閉じ込められたら、どうなるか。それを演じました。」というその迫力は、奥西の母役の樹木の演技とともに、ただ驚嘆するばかり。

この映画には、現在のわが国の刑事司法がかかえる、さまざまな「負」の要素があますところなく描かれています(文中敬称略)。

愛人を殺してどうする…-裁判と映画(2)に続く

ポルノ映画論(下)

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「愛のコリーダ」に戻れば、昭和11年の「阿部定」事件をモデルにしながら、大半の時間を男女の交合場面とするこの作品は、重厚・華麗な印象を観客に与えます。しかし、団藤判事の前出の「定義」にはあてはまらないものの、「愛のコリーダ」は、日本初の「ハード・コア・ポルノ」とも評価されているのです。 桑原稲敏「切られた猥褻―映倫カット史」(1993)によれば、大映京都撮影所で撮ったフィルムをフランスで現像処理をして“逆輸入”する方法がとられたが、国内公開を前に、税関と映倫の規制は厳しく、約3ヵ月にわたる税関検査の結果、その際どい裸体・性愛描写が50ヵ所、時間にして29分のカットや修正が求められ、映倫審査では、台詞も25ヵ所の音声が修正になった…とのこと(R-18=成人映画として公開)。 また、税関検査中、捜査当局は映画のスチル写真を口絵に使った大島渚著「愛のコリーダ」(三一書房刊)を猥褻図画販売の容疑で摘発し、起訴。しかし、1979年10月19日、東京地裁(岡田光了裁判長)は無罪判決を言い渡し、1984年6月8日、東京高裁(菅間英男裁判長)は検察側の控訴を棄却して無罪が確定。 「巨乳若奥様…」事件の弁護人は、「(ハード・コア・ポルノにおける性的表現の)公然性を前提にしてそれが公の秩序を乱すと論じるのは虚構の論理であって…それが私的領域に留まっている限り、国家が個人の私的領域に介入してこれを処罰の対象とすることは、明らかに個人の思想信条の自由や幸福追求の権利を侵害するもので…憲法に違反している。」と主張。この主張は、「受け手」の個人にはアダルトDVDの購入および視聴についての「自己決定権」があるとするものです。

しかし、私自身は、「ハード・コア・ポルノ」を全面解放せよという立場には懐疑的です。では、「巨乳若奥様…」と「愛のコリーダ」とをどこで区別し、どのような理由で後者のみに「表現の自由」の保護を与えるのか。「芸術性」という概念は機能するのか…。 映倫委員でもある樋口陽一・東大名誉教授は、市民向けの近著「いま憲法は『時代遅れ』か」(平凡社)の中で、次のように述べています。 「一方で自己決定、これこそが人権の基本にあるということは誰も否定しない。しかし他方で、自己決定によっても侵してはならない価値があるはずです。…『人間の尊厳』がそれです。」 この言葉は、この困難な問いに答えるための貴重な示唆を与えるものです 。

終わり

ポルノ映画論(中)

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「巨乳若奥様…」などのDVD作品は、発売に先立ち、映像ソフト業界の自主審査機関である日本ビデオ倫理協会(「ビデ倫」)が、わいせつ性がないという合格判定を行ったもの。1972年、映像関連業界の自主審査機関の1つである「映倫」が事前審査で合格とした4本の映画について、製作関係者および映倫審査員がわいせつ図画公然陳列などの罪で起訴された前例があり(いわゆる「日活ロマンポルノ」事件)、全員が無罪となっています。このため、「巨乳若奥様…」事件の弁護人は、「ビデ倫が、本件DVDについてわいせつ性はないと判断した事実」を無罪とすべき理由の一つとして主張。しかし、東京地裁判決の2011年9月6日判決は、 「ビデ倫は会員であるメーカーからの要望を受けて、次第に、審査基準等を緩和させるとともに、実際の審査においても、結果として、審査結果に利害関係を有するメーカー会員の意向に沿うかたちで…モザイクレベルに関して、従前の基準や運用を大幅に緩和する方向に運用が変わっていったことが認められる。このような、本件DVDが審査された当時における審査の実態等に照らすと、本件DVDがビデ倫の審査に合格しているとしても、その事実をもって健全な社会通念を推し量る一事情として考慮することは相当でないというべきである。(なお、少なくとも本件DVD審査当時のビデ倫は、前記日活ロマンポルノ映画事件控訴審判決で示された『映倫』とは、審査の実態などの面で信頼性等の基礎となる事実が大きく異なっており、同判決における映倫と同等に評価することは到底できない。)」 と判断して、この主張を退けています。 「巨乳若奥様…」が、いわゆる「ハード・コア・ポルノ」であることはすでに述べました。思想性・芸術性の要素のない「ハード・コア・ポルノ」について、これまでの裁判所の対応は厳しく、女性の陰部を露骨に撮影したカラー写真をポルノショップで販売した事案について憲法21条違反などの上告理由を退けた上告審判決(最高裁第1小法廷昭和58年10月27日集刑232号461頁)で、団藤重光裁判官は次の補足意見を述べています。 「もともと、単に人の性欲を刺激するだけの意味しかないような(ハード・コア・ポルノ)写真は、性質上、むしろ性具の類と異なるところはないのであって、それは広い意味での表現には相違ないが、『表現の自由』をいうばあいの特殊な意義における『表現』には該当しないというべきであろう。」

ポルノ映画論(下)に続く

七人の侍と思い出の破産事件

七人の侍は、いうまでもなく黒沢監督の白眉をなす映画である。戦国時代、農民から依頼を受け、野武士集団に七人の侍が立ち向かう物語である。この映画で登場する侍は七人。いずれも個性あふれるキャラクターの持ち主ばかりである。七人という数字は、筆者が関わった著名事件である「オウム真理教」の破産事件に携わった管財人団のメンバーの人数と一致する。
平成7年3月20日、オウム真理教は「地下鉄サリン事件」を引き起こした。オウム真理教に対する解散命令に伴う清算手続が開始されたが、被害者弁護団及び国は、東京地方裁判所へ同教団の破産を申立て、平成8年3月28日に破産開始決定が下された。破産管財人は、元日弁連会長である阿部三郎先生が選任された。阿部先生を保佐する常置代理人として、東弁から柳瀬康納治、大野金一、大阪弁護士会から久保井一匡(後の日弁連会長)、山梨県弁護士会からは寺島勝洋が参加し、更に、東京地方裁判所の破産部の推薦により、第一東京弁護士から大野了一、第二東京弁護士会から筆者が加わることとなった。阿部先生を含め7名の弁護士が揃い、これにサポート弁護士が数名加わり管財人団が形成された。
阿部先生は、当時、70歳を迎えていたにもかかわらず、破産管財人に就任直後から、同教団の破産手続きが事実上終結する平成20年まで、実に精力的に管財業務をこなされた。
オウム真理教の破産事件では、思い出に残る出来事は数多い。サリンを入れた大きな鉄球が据え置かれた第7サティアン、銃の製造工場、麻原が入浴した風呂、拷問部屋、アルミ鋳造のブロックで形成された約10畳の大きさの首都圏のパノラマ図には、皇居、警視庁、国会等に印がつけられていた。ロシアから購入した中古のヘリコプターも周辺にあり、彼らは本当に首都を攻撃する算段をしていたのである。霞ヶ関の弁護士会館には、阿部先生が揮毫された「弁護士会」の標石が置かれているが、弁護士会館を訪れるたび、筆者を含めたメンバーが地下鉄サリンの被害者を含むオウム真理教による被害者の数千件の債権認否作業のため、弁護士会館で徹夜の作業をした事を懐かしく思い出す。七人の侍の映画では、戦いが終わり、百姓が田植えにいそしむ姿を見て、生き残った勘兵衛は、相棒の七郎次に対し、「また、負け戦だったな。勝ったのは俺たちではない。」という有名な台詞を吐く。オウム真理教でも完全に被害者が救済された訳ではなく、筆者たちの戦いは、「負け戦ではなかったものの、破産事件として出来るかぎりの事は尽くした」という意味で誠に心に残る事件であった。

ポルノ映画論(上)

このところ、映画をよく見ます。3月だけでも、「名張毒ぶどう酒」殺人事件の再審請求を扱った仲代達矢主演の「約束」、アメリカ・メイン州の小島に残された老姉妹の孤独を描く「8月の鯨」、大島渚追悼「戦場のメリークリスマス」と「愛のコリーダ」…。かつては見ようともしなかったジャンルに属する、サド・マゾ作品の檀みつ主演「私の奴隷になりなさい」、強烈なviolence映画「Hobo with the Sho-tgun」なども最近は鑑賞の対象です。 その理由は単純で、私が2009年9月から映画倫理委員会(映倫)の委員に就任したからです。先輩委員には、財界切っての“映画通”桜井修・三井住友信託顧問や、憲法学の権威・樋口陽一先生(東大名誉教授)がおられ、映倫試写室で見るもの以外に、委員の間で話題になった作品になるべく接することを心掛けています。

このコラムは、映倫委員としての感想も踏まえながら、「映画と法」に関する話題を紹介するもので、映画(周辺領域のDVD、動画、ゲーム画像などを含む)の著作権の話が中心になるはずです。しかし、重厚・華麗なpornographyともいうべき「愛のコリーダ」の印象が抜けきらないため、まず、一昨年、「巨乳若奥様 ねっとり誘惑エッチ」など4本のアダルトDVD(本件DVD)の販売業者に対し、わいせつ図画(トガ)販売(刑法175条)・同幇助の罪で有罪判決が言い渡された事件から始めることにします(詳しくは、日本商事仲裁協会・月刊「JCAジャーナル」2011年11月号の拙稿をご参照下さい)。

東京地裁2011年9月6日判決(河合健司裁判長)の事実認定によれば、本件DVDの映像内容は次のようなものです。 「本件DVDは、その映像内容を見ると、いずれも男女の性交、性戯等の場面が露骨かつ詳細に描写されている。しかも、性器自体や性器の結合状態等にはいわゆるモザイク処理が施されているものの、そのモザイク処理がきわめてきめ細かい(いわゆる「薄い」)ため、性戯の場面等では、性器の形状等を如実に認識することができ、また、男女の性交場面では、性器の結合状態を詳らかに見て取ることができる。」 たしかに、私が映倫事務局から借り出し、自宅で家族に隠れて「鑑賞」したかぎりでは、「巨乳若奥様 ねっとり誘惑エッチ」などの映像は、全体の映像時間の約90%が「性交、性戯等の場面」であるなど、「ハード・コア・ポルノ」(「本番を見せるポルノ」の意―ただし本判決はこの語を使用していない)の範疇に属するものです。

ポルノ映画論(中)に続く