夏を迎えて、心地のよい場所は?

1.夏の季節を迎え、心地の良い場所と聞いて幾つかの候補地が浮かんだ。人によって、心地の良い場所は千差万別であろう。涼しく、一人リラックスして、心静かに過ごせるところと言ったら、優等生の模範解答みたいで少し興ざめになるが、それでもこの効用は捨てがたい。何せ、モンスーンエリアにある日本で、東京という千数百万人の人がひしめき会う場所に住んでいるのだから、リフレッシュをはかれる場所は有り難いものである。

2.京都へは過去数十回訪れている。私のお気に入りは西本願寺である。いうまでもなく、浄土真宗の総本山として、信者のみならず観光客にも人気のお寺である。私が気に入っているのは、まず拝観料がないこと、御影堂や阿弥陀堂の渡り廊下や縁側が二間程もあること、とりわけ、縁側に着座して、庭の大銀杏を眺めると夏であれば涼しい風が心地よく、暫時の居眠りも出来ることである。ここで昔、コンビニで買ったおにぎりを食べたことがあった。親鸞聖人に怒られそうである。紅葉の時期は、大銀杏が色づき、巨大な黄色の山が出現する。敷地と建物が巨大なので、観光客の多さも気にならない。たまに読経の声が聞こえるが空間の巨大さに圧倒されてその声もか細く聞こえる。心をむなしくして座禅をするのも良いが正座も苦手であり、姿勢が悪く棒で叩かれるのもイヤである。気ままに座ってだらだらするのが最高のリラックスとなる。

3.夏のパリは、東京ほどではないもののやはり暑い。観光地の中でもサン・ジェルマン・デ・プレ教会はお勧めである。この教会は558年に創建されたパリ最古の教会である。建築様式はロマネスク様式と呼ばれるもので、ゴシック建築が多い教会の中で異彩を放っている。パリ6区のサン・ジェルマン・デ・プレ駅の直ぐ傍にありながら、観光客もそれ程多くなく静かで厳かな雰囲気を味わえるところに醍醐味がある。ひんやりとした空気に包まれ、昼でもステンドグラスから漏れ来る光で照らされるだけの薄暗い中で、椅子に腰掛けてボンヤリ過ごすのがこつである。ステンドグラスは暗闇の中でこそその価値がわかる。この教会には、「慰めの聖母像」や「フランシスコ・ザビエルの像」や絵画などが飾られているが第2次世界大戦中、ドイツ軍のパリ占領時にレジスタンスとして抵抗し、虐殺された人々も祀られている。その碑盤に刻まれた名前を見て、自由と独立のために戦った闘志達の気持ちに触れたような気がして、リラックスを超えて心に勇気を与えてくれる貴重な場所である。パリ観光の際には是非お勧めします。

プラモデル造りと油絵についての雑感

1.2年半前から千代田区にある絵画教室で油絵を習い始めた。

デッサンから下絵を造り、中塗り、仕上げという段階を踏んで完成させる油絵制作の手順は、昔、小学校時代に夢中になったプラモデル造りに相通じるところがある。

プラモデルの場合、無論、図面があり、組み立ての順序に従って、パーツを造り、本体を制作して仕上げる。製品には地色があるが、色を塗ることもある。戦闘機、戦艦、駆逐艦、戦車など数多くの模型を組み立てたが、筆者の一番のお気に入りは、ドイツの「パンサーと、タイガー戦車」であった。2番目のお気に入りは戦闘機であるが、零戦よりも英国のスピットファイヤーや米国のムスタングやロッキードP38などの外国勢がお気に入りであった。

プラモデルの制作に夢中になり時間を忘れた。油絵も佳境に入ると同じような感覚になる。

2.プラモデルは3次元の形態を有するが、絵画は2次元の世界の産物である。

西洋絵画の歴史を紐解けば、2次元の世界に奥行きを出すために、空気遠近法なる技法が考案され、ルネサンス期以降にレオナルド・ダヴィンチ等によってその具体的活用がみられる。これに反して、日本画は平安時代の絵巻物から始まり、近現代に至るまで、2次元的思考が強く、立体感に乏しい。浮世絵などは、構図と配置、色遣いで勝負する。立体感はひたすら鑑賞者の想像力に委ねられている。

その点、葛飾北斎の版画は、対象物の配置の妙と色彩から遠近法に類似する構成を持っている。「画狂老人」の天才たる所以である。絵画において、構図の問題を真剣に研究したのはポール・セザンヌであり、静物・風景・人物画のいずれにもその成果を感じることができる。

3.ルイス・キャロルの「ふしぎの国のアリス」では、2次元の住人としてハートの女王や衛兵が登場する。

2次元の住人は、3次元の世界を理解できない。2次元の世界の人に3次元以上の世界を説明しょうとする物語が「フラットランド」に書かれている。2次元の世界の人には、3次元の立体物は、単にその形態の影としか認識できないのである。

現代の理論物理学の世界では多次元の世界が論議されている。筆者の考えでは、ダリやビカソの絵には多次元の世界を2次元の絵画に写し込もうとする意図が感じられる。これらの芸術家は、見えぬ次元の世界を感じて2次元の世界の絵を描いているような気がしてなりません。

京都庭園探訪記

1.8月16日(土)の京都、五山の送り火は前日・当日の大雨にもかかわらず、時間を順延して開催された。8月17日(日)から3泊4日の日程で京都市内に散在する名園を巡った。

目的は絵の題材の収集である。大雨の翌日から、一転して天候が回復し、連日35度ないし36度の酷暑の中を歩き回ることになった。

2.初日の訪問先は、西本願寺と渉成園である。

西本願寺は庭園鑑賞が目的ではない。御影堂と本堂に相対して2本の大銀杏が対になっている。御影堂の回廊に続く緣側のような廊下は2間の広さがある。この廊下に座して、大銀杏を眺めながら暫時休憩するのが毎回楽しい。外気温が36度でも、涼しい風が通り過ぎて大変に心地よく、昼寝に最も適した場所と言ったら親鸞聖人の罰があたりそうである。

西本願寺から渉成園に徒歩で向かう。距離は2キロもないと思うが、酷暑の中の移動はやや辛い。大きなつばのある帽子に濡らしタオルを御簾のようにぶら下げる工夫をしたが、戦時中の南方戦線の日本兵のような格好になってしまった(笑)。

渉成園の庭園では、園立堂、偶仙楼、傍花閣を経て、印月池に臨むことになるが、ここでは回棹廊から侵雪橋を越えて京都タワーを見渡すことができる。印月池に源氏物語の主人公である光源氏のモデルとなったとも言われる源融のゆかりの塔(九重の石塔)がある。

京都駅に戻りタクシーにて今夜の宿泊先の「ギオン福住」に向かった。この宿の風呂は、東山側に向いており、朝日の昇る中の朝風呂は気持ちが良い。

3.二日目の訪問先は、桂離宮、天龍寺、神泉苑である。

河原町駅から阪急京都線で5つめの駅が桂である。桂離宮への参観は、予め京都御所の宮内庁の許可が必要となっている。インターネットで申込みをする。繁忙期は抽選になるようであるが、夏期は比較的予約が取れやすい。桂駅からタクシーで2メーターの距離にある。

午前9時から午後3時30分まで1時間の参観が計6回行われる。私の参観時間は午前11時であった。人数は約20名で、うち、外国人が8人くらい混じっていた。会話からフランス人が3名、ドイツ人が2名おり後は英語圏内の白人であった。先頭にガイドがつき、参観の後列に皇宮警察官が付くというあんばいで、庭園の各所でガイドが丁寧な説明を行う。

桂離宮の写真はあまた存在するが、賞花亭の手前から、左に古書院、右に月波楼を置いて池を臨む構図が美しい。「京都のお庭」(JTBパブリシング)でもここの構図が採用されている。

桂離宮の美しさは、ブルーノ・タウトが賞賛したことで良く知られている。確かに、建物、池、植栽の配置がすべて計算されているかのような庭であるが、私はやや堅苦しいという雰囲気を感じた。

1時間の参観の後、タクシーで桂に戻り、阪急嵐山線に乗車して、嵐山駅に向かう。嵐山駅を下車し、嵐山公園を抜け、桂川が流れる渡月橋を渡る。嵐山界隈は日本人、中国系観光客がゾロゾロと歩き、土産物屋が所狭しと並んでいる。やはり、嵐山は京都観光の定番なのである。人数の多さに閉口しながら、天龍寺に向かった。

天龍寺の「曹源池庭園」は、夢想疎石の作庭とされている。「池泉回遊式庭園」の代表的な例である。この庭を臨む大方丈と書院の縁側には観光客が鈴なりに座っていた。この池が広がりを持つのは、嵐山・亀山を借景としていることが大きい。池の奥に「龍門瀑」という滝石組が置かれ、池のアクセントになっている。

人混みの中を京福嵐山本線の嵐山駅に向かった。この京福嵐山線の車両は1両のワンマンカーで、車両の後部から乗車し、前部で精算をして下車をする。四条大宮で下車。一路、二条城の近くの神泉苑に向かう。

四条大宮駅から約700メートル位の距離にある神泉苑は、昔の皇族の庭園であるが、紅いアーチ式の法成橋をわたり、善女竜王社にお参りすると念願が叶うと言われている。池に遊ぶ「アーちゃん」という愛称のアヒルがいるようであるが、日中の酷暑の故かその姿をみることができなかった。

4.三日目は、知恩院、青蓮院門跡、無鄰菴、南禅寺、圓徳院・北書院北庭と盛りだくさんのコースである。

知恩院はいうまでもなく、法然上人の浄土宗の総本山である。とにかく広い。国宝の三門を通り、坂道を進み勢至堂に至る。徳川家康は、浄土宗徒で知恩院の寺地を拡大し、2代将軍・秀忠もこれを引き継いだ。

知恩院から北に進むと青蓮院門跡がある。この寺は天台宗の寺であり、青不動があることでも有名である。庭は比較的こじんまりとしている。小御所から相阿弥の庭の「龍心池」を臨む。本堂には青不動が在所する。入り口に布が下げられていたが、布の隙間から青不動を見ることが出来た。この寺の鐘楼には自由にお突き下さいとの看板がかけられていた。鐘楼を突くと柔らかく響きのある音がした。

無鄰菴は、山形有朋の別邸である。この庭は奥行きがあり、奥の高い勾配から水が低地に緩やかに流れて母屋に向かう配置となっている。配置された木々もごく自然なもので、神社仏閣の庭とは全く趣が異なる。母屋の縁側にて木々からこぼれ落ちる光線をみると印象派が描く庭園のように見える。

南禅寺も敷地が広い。重要文化財の三門は、石川五右衛門の「絶景かな、絶景かな・・」の名科白で有名である。南禅寺の水路閣を見た後、金池院へ赴く。徳川家康を称えるために小堀遠州が作庭した「枯山水」の庭である。庭はそれ程広くはないももの、白砂に東山の借景が映える。圓徳院・北書院北庭は、秀吉の正室の「ねね」がまつられている高台寺の隣に位置する庭園である。北書院の方向から、左右に鶴・亀島を置き、中心奥地に三尊石組を配置する。極めて豪快で安土・桃山時代の雰囲気が感じられる庭であった。

5.連日、気温36度の中を歩き通したが、改めて、日本庭園の奥深さを知る旅であった。

ブリジストン美術館と小諸蕎麦

1.入館切符を求めて並んだり、むせかえる雑踏の中で絵を鑑賞するのは誰でもイヤである。
お盆は人の出も少なく、この意味で、絵画の鑑賞としては良い時期である。

外気の気温が35度近くになった8月15日午後0時に中央区京橋1丁目にある「ブリジストン美術館」を訪れた。

8月2日から9月23日まで、「絵画の時間」と題して、彫刻、絵画167点が展示されている。案の定、来場者はそれ程多くなく、1階の受付をすませ、エレベーターで2階の展示室に降り立った。

2.展示室は西洋関係の彫刻・絵画で10室、日本の洋画、1室で構成されている。エジプト、ギリシア、ローマの彫刻や文物もさることながら、やはり、近代絵画の展示がメインである。

最初にレンブラントの3作品がある。レンブラント自身の肖像絵とキリストにまつわる2作品があるが、F3よりも小さいサイズに暗い色調で描かれた人物に前近代的な雰囲気が漂う。アングルやクールベの作品は、写実を基本とした古典的な様式の作品である。

前印象派の中でも、カミーユ・コローの作品は森の小道と農家を描いたものであるが、木々の描写が写実的であると同時に色彩が極めて巧みであった。カミーユ・ピサロになると木々はやや多色的になり、印象派の到来を予感させる。マネの2作品をみたが、筆裁きにエッジをきかせている感じを抱いた。

アルフレッド・シスレーは3作品がある。アルべール・マルケと並んで私の好きな風景画家である。

ルノアールは5作品があり、少女を描いた大作の「座るジョルジェット・シャルパンティエ嬢」が秀逸である。ルノアールの描く人物の顔の輪郭がいつも曖昧なのはこの作品に限らない。女性の柔らかいタッチを重視してのことと思われ、この絵も鑑賞する距離をかなり離してみると生き生きとした全体の表情が浮かび上がる。

3. 次は、同じ巨匠のポール・セザンヌの3作品がある。中でも「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」は迫力がある。前景にぼかした赤松と斜めに取った構図の中央に、中景としてサント=ヴィクトワール山がどんと控えている。この絵も距離を置いて眺めることが必要である。

クロード・モネは5作品が展示されている。やはりこの人の作品は「睡蓮」である。療養のため妻と滞在したヴェネツィアを描いた「黄昏・ヴェネツィア」は、寒色系から暖色系までのすべての色が階調をもって現されていることに驚く。

ゴーガンは2作品、ゴッホは1作品「モンマモトルの風車」が展示されている。ゴッホが描いたように、モンマルトルは都市郊外の田舎で描かれたような風車があり、のどかな雰囲気があったが、パリの都市化が進むにつれ、キャバレーや酒場などが相次いで作られた。

アンリ・マティスも6作品がある。

アルベール・マルケは2作品があり、そのうち「道行く人・ラ・フレット」は私が好きな作品である。本物を直に鑑賞することが出来て大変に嬉しい。モーリス・ブラマンク「運河船」は赤、白、青の原色をそのままにブラマンクらしい絵である。エドヴァルト・ムンクの「病める少女」も病める少女の左傍らに顔を手で覆った女性は母親であろうか?

フェリックス・ヴァロットンも2作品がある。ジョルジュ・ルオーの「郊外のキリスト」「ピエロ」も強烈な印象を与える。あの黒色系は、何を現すものなのか、不安というより静かな祈りに近く、絵を通して祈っていると思える。アンリ・ルソーは2作品がある。ルソーは遠景も近景も細密画のように描く。配置も形も独特でありながら、奇妙なファンタジーを感じさせてくれる数少ない画家である。

ラウル・デュフィは2作品があるがやはり音楽的で色遣いも軽快である。「オーケストラ」は秀逸である。

パプロ・ピカソは7点ある。やはりこの画家はゴッホと同じく尋常ではない画家である。人物画もよかったが、「画家とモデル」と「ブルゴーニュのマール瓶、グラス、新聞紙」が断トツの出来と思える。ジョルジョ・デ・キリコは1作品しかなく寂しい感じがした。モーリス・ユトリロは2作品。彼らしいパリの町並みや川岸の風景絵である。

藤田嗣治は3作品がある。「猫のいる静物」をみるとこの人の線の弾き方に驚嘆する。猫、燕、静物として並べられた魚、蟹、人参、玉葱だけではなく、テーブル廻りの木材、これは木目が美しく、まるで本物の木目のように描かれているのである。このような線の弾き方は藤田の十八番であったものであるが、どのようにして体得したのであろうか。

続いて、佐伯祐三の「ガラージュ」という作品がある。佐伯の作品も私の好みである。ブラマンクではなく、ポール・セザンヌに師事していれば夭折せずに、後日、藤田と並ぶ大家となったと思うと残念である。抽象画のワシリー・カナディンスキーやパウル・クレーの作品も1作品ずつ展示されている。

4.日本画家の展示室には、浅井忠の2作品、藤島武二の2作品(「黒扇」が良い)、小出樽重が2作品、安井會太郎が3作品、岸田劉生は3作品があり、「麗子座像」は強い印象を与える。古賀春江の3作品(初期の「遊園地」が良い)、梅原龍三郎の1作品、岡鹿之助、関根正二はそれぞれ1作品がある。

5.ブリジストン美術館の帰りに京橋3丁目の立ち食い蕎麦「小諸蕎麦」に立ち寄った。私が弁護士1年目で京橋に通い始めたときに出来た「小諸蕎麦」の1号店である。まだ、健在で味も昔と変わらずに値段も安いことに驚いた。良いものは長く残って欲しいと思いながら、銀座1丁目の駅に向かった。

油彩画とフランス語&ワールドカップ

1 本年の4月から毎日曜日に千代田区神田須田町にある絵画教室に通い始めている。デッサン、水彩画、銅版画、油彩画とあるが私が選択したのは油彩画である。絵などは中学生の美術の時間以来、実に46年以上もご無沙汰であったことから、どうなるやらと思っていたが、思いの外楽しいひとときを過ごすことができている。生徒は、若い人から私のような年配者も在籍しており、各自のテーマについて先生が指導をしている。デッサンをする人は若い人が多く、美大の受験生かと思われる。油彩画の醍醐味は、色を重ねて行きながら、モチーフを自分なりに表現することにある。下書きのデッサンも大事であるが、どのようなマチエールを生み出すのかは、その人の個性にかかるところがあって、実に奥深いものと思う。絵を見ることは若いときから好きであり、海外旅行先や国内の美術館へは比較的多く足を運んでいる。私のお気に入りの画家は、アルベール・マルケ、モーリス・ブラマンク、アンリ・ルソー、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ、クロード・モネ、ポール・ゴーギャン、アンリ・マティスである。日本では佐伯祐三である。印象派より野獣派や素朴派と呼ばれる画家がどちらかというと私の好みである。絵の初心者であるが、風景画から出発し、人物画、そして静物画へと約10年計画で進もうと考えている。出発点の風景画では、アルベール・マルケを手本として画きたいと思っている。マルケは一時期、野獣派と交わったが、次第に独自の落ち着いたタッチの絵を多く描くことになった。彼の風景画の多くはパリの街、港や川などで、「水の画家」といわれているが、その落ち着いたタッチや構図・デッサンの確からしさは初心者の私には参考となる。

2 南フランスの地中海に面した漁村「コリウール」を描いたマティスやドランの作品がある。「コリウール」にはピカソも暫く滞在し、マルケにも「コリウールの眺望」という作品がある。彼の地には、地中海の碧い海と紅い屋根の建物があり、光と色彩が豊かで、画家の心を捉えたのも無理はない。ここには日本人が経営する小さなレストランがあると聞く。是非行ってみたい所である。ある程度フランス語が喋れれば、旅行も楽しくなると思い、急遽、絵と並行してフランス語も勉強することにした。43年前、大学の第2外国語はドイツ語であった。NHKの毎日フランス語という教材を使用しているが、この教材は、文法は最小にして、とにかく話せることに重心を置いており、私のような超初心者にとっては大変有用である。フランス語の数字は60までは、10進法による読み方になっているが、70から79までは60に10から19を足して数えるという妙な形となる。80は4×20となる。急に20進法に変化するのである。識者によれば、ベルギー、スイスでは10から90までは完全な10進法になっているという。石原元東京知事がフランス語の数字の読み方について、クレームをつけていたが、そのような読み方になったのには、何らかの理由があると思われる。○○朝のルイ王がそのような読み方を定めたとか様々な俗説が紹介されている。故阿部謹也先生の著書である「中世賤民の宇宙」という本では、西洋中世の時間、空間、モノのとらえ方が紹介されている(因みに阿部先生は、ヨーロッパ中世史の専門家である)。中世の世界では具体的な生活のリズムから、様々な時間・空間意識が形成されていたとされる。私の解釈では、昔は70まで生きる人など殆どいなかったし、日常生活で70以上の出来事を細かにあらわす必要がなかったのではないか?すなわち、中世は現代の日本社会のような高齢社会ではなく、石原氏のような後期高齢者は殆ど存在していなかった。70以上は数字も含め、文化的に格別の配慮をする必要がなく、70以上はあり合わせで構成すれば十分であったと考えたのではないか。古代のシュメール、バビロニアの60進法に10進法、20進法が混在したものがフランス語であると考えると歴史の雰囲気も感じることができる。このような様々な要素が混在するフランス語は、様々な色彩が交わる油彩画と妙に相性が良いと思うのは私だけであろうか。

追記
ワールドカップの試合がブラジルで始まった。私は、中学生の頃サッカーをしており、我がチームは川崎市の大会で優勝をしたことがある。当時の私のポジションはCF(センター・ハーフ)といい、今のMFである。2002年の日・韓ワールドカップの当時、司法研修所で民弁の教官をしていたおり、「皆さん、早く家や寮に帰って見て下さい」と言って、午後の講義を少し早く終わらせたことを懐かしく思い出す。日本チーム!頑張って下さい。応援しています。

以上

4月の花(桜)を思う

1. 東京の桜も散る時季を間近に、今は盛りと咲いている。今日は、お釈迦様の誕生の日であり、「花祭り」の行事が催される地方も多い。釈迦の誕生日であるが、丁度桜の散るこの時期に思い起こされるのは、平安末期から鎌倉初期にかけて活躍した西行法師の桜の歌である。
  願わくは
   花のしたにて
     春死なん
   そのきさらぎの
     望月のころ
 桜をこよなく愛した西行のこの歌は、桜を詠んだ数多くの歌の中でもつとに有名である。
 この歌は、西行が亡くなる7年前に歌集選定の勅命により作られた「千載和歌集」に載せられ、西行は、1190年3月31日午後2時ころ、河内の弘川寺で入滅したが、その知らせを聞いた京の都の人々は即座にこの歌を思い浮かべたという逸話が残っている。
 「西行の風景」(NHKブックス)を著した桑子敏雄氏の解説によれば、西行と親交が深かった藤原俊成は、西行の歌を「詞あさきに似て心ことにふかし」と述べ、後鳥羽院は「心がことに深い」と評価したという。

2. 西行の風景を詠う和歌には、表象的な風景の背後に隠された「空間意識」のようなものが控えており、それは弘法大師が伝達した密教の「空間意識」(厳密には虚空)と同根で、その「空間」に日本の文化(和歌)を映し出したというのが桑子氏の分析である。西行が50歳の時に、崇徳院の霊を慰めるため讃岐国を訪ね、善通寺にて暫く庵を結んだという来歴からみて、誠にスリリングな解釈である。

3. 日本人の持つ「空間意識」というのはどのようなものであろうか。東京では高層タワーが乱立し、「空間」は単なる物理的な要素に貶められている。これに対して京都は、平成16年に「景観法」を策定し、建物の高さを制限するばかりでなく、建物の形態、色彩、意匠等に制限を加えて、1200年を超える古都の景観を守ろうとしている。政治経済中心の東京都と文化を伝承する京都市の「空間意識」のあり方を思うとき、4月の花はどちらの町が似合うのか論ずるのも一興と思える今日この頃である。

4. 4月8日を祝して、「千載和歌集」からもう1句、西行の桜の歌をここに現したいと思う。

 仏には
  さくらの花を
   たてまつれ
  わがのちの世を
   人とぶらはば

NHK会長人事について思う

1. NHKの籾井会長の「慰安婦発言」が物議を醸し、国内だけではなく外交にも影響を及ぼし始めている。籾井氏は、三井物産の副社長から日本ユニシスを経て、昨年12月にNHKの第21代会長に選任された人物である。民間会社から官営会社に転じた籾井氏の経歴をみて、戦前に三井物産の社長を務め、昭和38年に官営会社であった国鉄に第5代総裁に就任した石田禮助を思い起こした。石田禮助の伝記を記した城山三郎氏の書籍で表題にもなっている「粗にして野だが卑ではない」(文春文庫)は、国会の初登院であった昭和38年5月21日の衆議院運輸委員会における石田の総裁就任の弁として紹介されている。粗野であるが、傲慢ではなく、(品性・行動)は卑しくないという趣旨である。昔、三井・三菱の2大商社の社風に関して、人の三井、組織の三菱という言葉があったと記憶している。まさしく、石田の言葉は、良い意味で三井物産の社風を反映するものである。

2. 籾井氏が歴史問題に対してどのような個人的な考えを持つのか、市民と同様の自由を持つべきは当然のことではあるが、不可解なのは、NHK会長職としての抱負を聞かれたときに、ワザワザこの発言をしているという事実である。NHK会長人事に関して、時の政府の意向が色濃く反映されていると多くのメディアが報道している中で、会長の発言は、自己の選任にかかわった者に対する「追従」【ここでは「ツイショウ」と読む】と捉えられても仕方のない行為であろう。「追従」とはこびへつらうことであり、品性・行動が卑しくないことと対極にある言葉である。籾井氏のその後の記者会見における記者とのやりとりなどを見るとやや上半身をのけぞらせて、いかにも不満げな様子で応答をしている。意向に沿わない記者会見とは思うが、このような人物が公共放送のトップというのは寂しい限りである。

3.NHK会長及び経営委員のあり方に焦点があたっているが、宛て職ではなく、本当に公共放送を担う人材を確保するためには、組織と運営について一層の「独立性」を制度的に確保する必要があると思われる。

自然災害と人的災害

1. フィリピンのレイテ島に襲来した台風30号は、今世紀の最大級の台風であった。アメリカのグアム島の観測所からは、一時、毎秒89メートル近い風速に達したという報道がなされた。台風30号は竜巻並の風速を持ち、また高潮を誘発し、レイテ島のタクロバンの町を一瞬の間に廃墟と化してしまった。2300名を超える死者と数千人の負傷者に対して、国際社会の救援行動が一斉に取られ始めている。フランス、ベルギー、日本赤十字社の医療の先遣隊や各国の救援隊が現地に向かっている。その中でも、アメリカは、空母ジョージ・ワシントンを始め、2隻の巡洋艦、2隻の駆逐艦、1隻の輸送艦を香港から現地に向かわせ、日本も陸上自衛隊を中心とする1000名が、大型護衛艦、輸送艦、補給艦と共に現地に向かうという報道がなされた。

2. フィリピンのレイテ島は、1944年10月20日から始まった日米の「レイテ島の戦い」の主戦場であり、レイテ島のタクロバンは、かつて、日本軍によりコレヒドールを追われたダクラスマッカーサー将軍が「I Shall Return」の言葉どおり、再上陸を果たした有名な場所でもある。当時、日本陸軍を中心とする総勢8万4000名に対して、アメリカ軍は約20万名の兵力を投入し、日本軍は7万9000名以上の死者を出して敗北した。その町に、69年後、日米の軍隊が人道援助のために来訪することは隔絶の感がある。

3. 台風や地震のような自然災害と戦争のような人的災害、いずれも人間社会に対する「災害」である。1993年に採択された「ウィーン宣言及び行動計画」の第1部、第23節には、自然災害と人的災害について述べ、国際連合憲章と国際人道法の原則に従って、被災者に人道支援を行うことの重要性を指摘している。日本は、先の大戦において、レイテ島で多くの日本軍の死傷者を出したが、現地の人々も数多く戦禍に倒れた歴史的事実を踏まえ、他の国に倍する人道援助を行うべきもの考える。

中国の行方

1 今月の9日から12日まで、北京において、中国共産党・第18期中央委員会の第3回全体会議が開催される。5年に一度開かれるこの中国共産党の全体会議は、過去においても、中国の基本方向を定める場として有名な会議である。新聞報道によれば、習近平氏は、第14期の3中全体会議に匹敵する重要な会議になると述べたという。1993年11月に開催された第14期の3中全体会議は、1989年のベルリンの壁の崩壊、1991年にソ連の崩壊を受け、中国の後進性も含め、社会主義体制の存続が問われた年であった。そこに登場した鄧小平氏は、「改革開放」「市場経済の重視」という近代化路線を目指し、5カ年計画を策定し、その実現に邁進したことは広く知られるところである。

2  この鄧小平氏は、筆者が高校生の時に、テレビ場面で見たことがあり、強く記憶に残っている。その場面は、首からプラカード(走資派とか、これ類する言葉が書かれていたと記憶する)を下げ、紅衛兵らしき若者に両脇を抱えられて、衆人環視の中で立たされている姿であった。当時、彼は北京市長の職にあった。鄧小平氏の「黒い猫でも、白い猫でも、鼠をとる猫は良い猫である」という名文句があり、「七転び八起」といわれる程、強運の持ち主であるが、彼の復活劇に周恩来首相の力があったことも現在では広く知られた史実である。

3 現在の中国共産党が抱える問題は、識者が指摘するように様々な問題がある。「格差社会」「汚職の蔓延」「環境破壊」など深刻な課題が目白押しである。「格差社会」から落ちこぼれた農民・都市の下層階級は、キリスト教や他の宗教に救いを求め、その数は1億人に迫るというNHKの報道があった。中国政府は「官製儒教」の教えを広めて対抗しようとしているが、その行く末は不透明である。「改革開放」と「市場経済の重視」によりいまや世界第2の経済大国となったものの、その基盤は盤石ではない。最近、天安門広場において、「ウイグル族」による自動車爆破事件が起きた。中国政府はこれを「テロ」と呼び、また、報道機関に対しても思想教育の一層の強化を始めている。中国政府は何にそのように恐れるのか。それは、歴史が証明するように自国民であろう。中国4000年の歴史と言えば、統一王朝が起こり、次に官僚腐敗、民衆の蜂起・反乱、最後の分裂と再集合という繰り返しである。昔、孫文が日本に在来していた頃、訪れたどこかの海辺で、海岸の砂を手に握りしめ、指の間から漏れ落ちる砂粒を指して「これが中国人民だ」と慨嘆した話を思い出す。この砂粒のような人民を「共産主義」という強力な糊でまとめ上げたのが、毛沢東であり、周恩来の革命第1世代である。周恩来がパリで地下活動をしていたおり、鄧小平はその使い走りをしていた頃の古びた写真を雑誌で見たことがある。鄧小平氏は革命第1・5世代である。

4 民衆の怒りこそが中国の時代を動かす力であることは、歴代の指導者は良く知っており、その怒りの矛先に先んじて「処方箋」を講じることが指導者の役割であるが、第18期第3回全体会議において、習近平氏は、どのような内容の「処方箋」をするのか極めて興味がある。中国共産党という一党による支配は、「格差社会」や「環境破壊」と言った「市場の失敗」について、より効率的に対処できる利点も有するが、13億以上の国民を代表するその正当性について、今後どのように舵を取って行くのか、目が離せない国でもある。

教育への投資から未来を考える

1 筆者は、現在、独立行政法人日本学生支援機構の「契約監視委員会」の委員として仕事をしています。この「契約監視委員会」というのは、平成21年11月17日の「独立行政法人の契約状況の点検・見直しについて」と題する閣議決定を受け、総務省行政管理局からの要請を受けて、各独立行政法人の監事及び外部有識者により構成されたものです。現在、独立行政法人は、特定独立行政法人が8法人、一般の独立行政法人は94法人があります。独立行政法人は民間企業との間で様々な契約を締結しますが、過去において、市場原理を無視した契約が「随意契約」の名の下に温存されていたことの反省から、その透明性を確保すべく、「契約監視委員会」のチェックを経て可能な限り競争性を持たせた契約に切り替えようとするのが目的です。

2 日本学生支援機構は、日本おける唯一の公的な奨学金の給付事業を行う団体です。2012年に限っても、全学生(大学・大学院・高専・専修学校)394万人余のうち、奨学金受給者は123万人余です。日本学生支援機構の事業費は1兆1000億円を超えるものです。奨学金については、無利息の第一種奨学金と利息付の第二種奨学金があることはご存知の方も多いと思います。現在、この奨学金の返還の滞納が問題となりつつあります。
滞納額は約800億円で滞納者は約34万人に達すると報道されています。平成23年度において、回収予定額は4639億円で、その対象人数は303万人と見込まれています。返還滞納が生じるのは、これまでの日本経済の状況を考えれば至極当然のことと思われます。バブル崩壊後、就職氷河期やデフレ経済のもとでは、職を得ることが容易でなくなり、ようやく職が得られても非正規の社員であったりして、職自体が不安定で所得も低いのです。更に、デフレ経済の下で日本の企業が取った行動は、人件費を中心とする間接経費の絞り込みであります。そのため、製造業は人件費の安い海外に進出し、国内で働く就業者は、季節的調整が可能な非正規の労働者が多くなりました。現在、安倍のミクスによる金融緩和政策等により、円安、株高が演出され、輸出型の大企業は恩恵を受けておりますが、サラリーマンの実質所得は上昇していません。サラリーマンの所得が上昇しない中で、教育の支出は漸増しており、大学を始め高等専門教育を受けるための経費は、家計の大きな負担となっています。最近のOECDの調査では先進国の中で、GDPに比して、公教育に対する支出が低い国として日本が挙げられていたのは大変ショックです。安倍政権は第三の矢である成長戦略を色々と論じていますが、目先の成長戦略より、教育に対する中・長期的な成長戦略を考えるべきかと思います。一つは、就学前の教育に対する公の投資の増大です。アメリカの調査でも、家庭の社会経済状況を反映した学力格差は小学校1年生の段階で既に存在しているとされています。不利な社会経済状況にある家庭の子どもは、小学校、中学校で豊かな家庭出身の子どもに学力の差をつけられており、それはそのまま、その後の低学力、低学歴につながり、大人になっても不利な社会経済状況に立たされるという貧困の連鎖に繋がります。この連鎖を断つ必要があります。二つめは、大学を始めとする高等教育の見直しです。国際比較では、日本は高等教育における私学の占める比率が高いとされており、その費用も安くありません。平均的なサラリーマンの家庭で2人の子どもを私立大学に通わせることは至難の業です。現在の大学は「金太郎飴」のような大学が多すぎます。ハイテクばかりでなくローテクでも有用性に優れた物を作り出すことは日本人の特性にむいていると思われます。その意味で、技術や実学に重点を置く高専などを公費により一層充実させた方が良いと考えます。日本学生支援機構の奨学金についても、貸付から給付への方向に切り替える事が望まれます。給付となれば財源を確保しなければなりませんが、将来の教育に対する投資こそ優先順位は高いものと位置づけることは多くの国民の賛同を得るものと考えます。

3 日本の将来の財政については、1000兆を超える借金の存在から悲観論が優勢です。この借金は、現役世代が引き継いで負担していくにはあまりに巨額なものです。高齢世代と若年世代との世代間の公平性は完全に失われている現状を前提にすれば、この世代間の不公平性を修正することは当然の事です。年金の受給年齢の引き上げも世界の趨勢であり、近いうちに65歳から68歳に変更になると思います。また、医療費の総量抑制もやむを得ないものと考えます。最近、出版された「2052」というヨルゲン・ランダースの著書に「公平さをめぐる世代間の争い」という項目があります。そこでは2020年代に、最初はヨーロッパ諸国、米国、その他のOECD加盟国において、世代間の緊張が増加して、大きな社会変動が起こる可能性があるとされている。これは議会での平和的な変化を通じてではない可能性がむしろ高いというのは少し驚きですが、私は、むしろ中国のような社会で大きな変動が起きるのではないかと予想しています。ヨルゲン・ランダースは「21世紀の後半までに、この世代間の闘争は終わり、人類はより公平で持続可能な世界を築く、若者はより幸せになり、年配者はその犠牲となる。」と結んでおり、完全な年配者である私は少し複雑な気持ちにさせられます。2052年は私が百歳に当たる年なので、そこまで生きて予想の当否を見てみたい気持ちになりました。